また君に会いたいとか

日々の備忘録

【勝手に解釈】「夏が終わる」(スピッツ)

 

 

こんにちは、トパーズです。

 

 

 

「夏が終わる」(作詞・作曲:草野正宗は、

スピッツの4枚目のアルバム

『Chrispy!』(1993年)の

2曲目に収録されています。

 

 

☆静かに過ぎたひと夏の恋

 

 

 

※あくまで私なりの解釈で、

 これを強要するとか、他の解釈を否定する意図はありません。

 【勝手に解釈】は、私の妄想のページと思ってください。

 

 

またひとつ恋が終わってしまった

知らないうちに

女心と秋の空?

 

君と僕とは

バイトや合宿などで

ひと夏を共に過ごした間柄なのでしょう。

 

君に一目ぼれした僕は

君も僕のことをずっと好いてくれてると

信じてたのでは。

 

 

イメージ

 

 

青文字は、

「夏が終わる」(作詞・作曲:草野正宗)より抜粋

 

 

 

遠くまでうろこ雲続く

彼はもう 涼しげな襟もとをすりぬける

これは現在の状況。

もう空はすっかり秋の気配。

 

「彼」とは?

「秋」ではないかと思います。

 

君の「涼しげな襟もと」

もう汗ばんでもなく

夏のほてりが冷めて

襟のある服を着てる状態。

夏の休みから秋の平常モードに

戻ったみたいな。

 

まるで、

夏の恋などなかったように

(君にとっては、なかったのかもしれない)

秋の風が「すりぬける」

 

 

日に焼けた鎖骨からこぼれたそのパワーで

変わらずにいられると信じてた

「日に焼けた鎖骨」は、

露出の多さを感じさせますが、どうでしょう。

 

水着なのか

襟ぐりの広いキャミソールみたいなのか。

 

それとも、

もっと露出の多い姿を見ることになったのでしょうか?

 

僕にその「日に焼けた鎖骨」を見せてくれたことで

ときめきを覚えて、

僕への愛情に溢れていると

思い込んでしまったのでしょうか。

 

この2行の描写で

僕の勘違いが生じたのでは、と推察します。

 

その勘違いのせいでか、

日に焼けた健康的な君が

ずっと僕のそばにいると信じていた。

この夏がずっと続くと思っていた。

 

「日に焼けた鎖骨」「涼しげな襟もと」

対照的に描かれていると思います。

涼しげな襟もとからは、

日に焼けた鎖骨はもう見えません。

 

 

 

またひとつ夏が終わる音もたてずに

暑すぎた夏が終わる音もたてずに

深く潜ってたのに(**)

「また」何かありそうな夏が終わってしまった。

「また」何事もなく終わってしまった。

 

それまでにも似たような経験があったんでしょうね。

「海とピンク」「海ねこ」あたりも

同じような状況だったのでは?

 

「音もたてずに」というくらいなので

君からは何の連絡もなく、

二人の間に何の諍いもなく、

静かに、

気づいたら君は

知り合う前の君に戻っていた。

 

暑すぎた夏のせいで

僕の心も火照って

勘違いしていたのかもしれませんね。

君も僕のことが好きなのだと。

 

僕は、暑さを避けて深海に潜るように

二人の世界にいたつもりだったのです。

君と僕の秘密の関係を

誰にも気づかれないように。

 

それなのに、「秋」=「彼」が

君の心を奪っていってしまった。

 

 

キツネみたい 君の目は強くて

彼方の記憶さえ楽しそうにつき刺してた

君の目がキツネみたいな切れ長だというより、

夏の日差しに眩しそうな目元がキリリと涼しげで、

かつ意思的で魅力的な眼差しに見えたのでは。

その眼差しにノックアウトされたのでしょう。

 

僕の寂しく孤独な今までの日々が

どうでもよくなるように思えてきたのでしょう。

 

 

 

軽い砂を蹴り上げて走る

濡れた髪が白いシャツはずむようにたたいてた

浜辺で楽しそうにはしゃいで走る君。

後ろから追っていく僕。

「はずむように」という言葉から

君にも高揚感があるように思うのですが。

 

君は逃げてたのかな?

 

ただ、

もう君はシャツを着ていて

僕には後ろ姿しか見えてないところが、

寂しい結末を予感させます。

 

僕はたいてい、

君の後ろ側にいることが多いですね。

「日曜日」しかり、「プール」しかり。

真正面(本心)が見えてない。

 

 

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もしかすると、

走っていく君をただ

見つめているだけだったのかもしれません。

 

 

(**)くりかえし

 

遠くまでうろこ雲続く

彼はもう涼しげな襟もとをすりぬける

最後はまたこのAメロで終わります。

 

上記の、

軽い砂を蹴り上げて走っていた君が

後ろから呼ぶ僕に振り返ったときの状態が

このAメロかもしれません。

 

全てを開放的にさせる夏、

僕にとってはいろんな意味で暑すぎた夏。

二人の世界に潜っていたつもりだったから、

ずっと夏のままだと思っていたのは

僕だけだったようです。

 

秋が君の心を奪っていってしまったような

喪失感や敗北感を抱いてしまったから

「秋」=「彼」と表現したのではないでしょうか。

 

君の心に秋風が吹いて

君も僕の心を通りぬけていった。

 

 

何事もなかったように

クールな君。

いつの間にか夏が終わっていく。

秋が来たから?

飽きがきたから?

 

僕の独りよがり?

女心と秋の空?

 

 

【歌の感想】

 

語弊があるかもしれませんが、

全く他意はなく、

純粋に、

イントロから

ユーミンだ!」と思いました。

 

歌詞はもとより

イントロからメロディー、アレンジにいたるまで

初期のユーミンを彷彿とさせます。

若いユーミンが歌っていても

少しも不思議ではない。

 

具体的にどの歌、というのはないけど

歌詞内容は関係なく、

リズムやアレンジ、サウンドの感じからすると

「天気雨」(「14番目の月」)

「中央フリーウェイ」(「14番目の月」)

LAUNDRY-GATEの想い出」(「紅雀」)

「甘い予感」(「OLIVE」)あたりか・・?

 

YouTubeではユーミンのオリジナルは聴けず、

アップされている歌もLiveだったり大人の声で、

アレンジもリズムも

少し違っていたりするから、

昔のオリジナルを知らない人には

理解してもらえないかもしれませんね。

 

何せ、初めて聴いたスピッツのアルバムで

1曲目のガチャガチャした「クリスピー」のあとに

この「ユーミンサウンド」は驚きました。

 

スピッツって、こういう歌も歌うんだ、と思いました。

この頃はまだブレイクする前?だったと思います。

 

 

ただ、このタイプのユーミンぽい歌は

たぶんこの「夏が終わる」だけで、

少し違うタイプのユーミンぽい歌が、

他に数曲あると思っています。

 

ただ、

私が勝手に「ユーミンサウンド」と感じてるだけで

そうは思わない人もいるだろうし、

これだけいろんな歌が溢れていると

何かしらどこかしら

感じが雰囲気が似ていると思うような歌も

あって当然ではありますね。

 

 

当初この歌を聴いていた頃は、

この歌の「僕」は、

ひと夏のアバンチュールで、

結果的にフラれたのかな、と思いました。

そう、

「となりの町のお嬢さん」(吉田拓郎)(古すぎる)のような。

でも、どう聴いてもやっぱり

スピッツの「僕」は、吉田拓郎の「僕」とはタイプが違うな、

と気づきました。

(勝手に引き合いに出して比較までしてすみません)

勘違いで「そのつもりでいた」だけのような気がします。

 

 

そんなこともあって、

耳馴染みがよくて懐かしさも感じる

この「夏が終わる」は、結構好きな歌です。