また君に会いたいとか

日々の備忘録

【勝手に解釈】:「プール」(スピッツ)

 

 

こんにちは。

備忘録UP中のトパーズです。

 

 

「プール」(作詞・作曲:草野正宗は、

スピッツの2作目のアルバム『名前をつけてやる』(1991年)の

6曲目に収録されています。

 

 

☆浅いプールで 

  もがき苦しむばかり・・・

 

 

 

気まぐれで思わせぶりな君に心底惚れている僕は、

いつもさんざん振り回されているのに

どうすることもできない。

 

たまに会っても

君の心はどこにあるのか不安で一杯なのだ。

 

でも、今この時のつかの間の幸せに酔うだけ。

やっと会えたんだから・・・

 

 

う~ん、私がイメージするスピッツの歌の「主人公」は、

君に恋い焦がれ、

邪険にされようがひたすら一途に思い続けている

無器用で健気な男なのだ・・・。

「君」の方も、僕に愛想を振りまいたと思いきや

素っ気なくあしらったりと、

気まぐれで魅力的な女なんですよね・・・。

 

 

 

※あくまで私なりの解釈で、

 これを強要するとか、他の解釈を否定する意図はありません。

 【勝手に解釈】は、私の妄想のページと思ってください。

 

 

 

 

 

歌詞を少しずつ見ていきます。

 

 

君に会えた 夏蜘蛛になった

ねっころがって くるくるにからまってふざけた

風のように 少しだけ揺れながら (*)

 

「君に会えた」「夏蜘蛛になった」

冒頭のこの言葉の威力たるや!

珍しく動物的で直接的です。

でも、とても官能的で耽美的ではないですか!

 

秘めた情事を連想させるこんなギリギリの表現は

草野さんの独特のセンスですね。

 

巣にかかった獲物をからめ取る蜘蛛。

巣の上で風に揺られながら、

離すまいと、喜びに恍惚としている蜘蛛。

 

草野さんの、抑揚を抑えた気怠ささえ漂う歌い方に、

逆に静かな情念を感じます。

 

ただ、「君に会えた」と言ってるわりには

楽しそうな明るい曲調ではないのです。

 

街の隅のドブ川にあった

壊れそうな笹船に乗って流れた

霧のようにかすかに消えながら

 

「街の隅」「ドブ川にあった」「壊れそうな」

「笹船」「流れた」

「霧のように」「かすかに」「消えながら」

3行にこれだけの「負」なイメージの言葉が並んでいます。

全て二人の関係性を表していると思います。

 

「流れた」とあるので、

自らの意志ではなく

風に吹かれるように翻弄されながら

明日の保証もなく漂って、

何とか今の状態を保っているようです。

それも、脆く危うい状態のようです。

この笹船が行き着くところはあるのでしょうか。

 

とても悲壮感がにじむ表現ですね。

社会的にも容認されにくい関係なのかもしれません。

 

それだけ、会える時間は貴重で刹那的なものでしょう。

 

孤りを忘れた世界に 水しぶきはねあげて

バタ足 大きな姿が泳ぎ出す

 

ここは、君といる時の僕の複雑な胸の内だと思います。

 

ずっと孤独な日々を過ごしてきて、

待ちくたびれたほどに待った二人の時間。

 

やっと会えた大好きな君との

限られた時間、濃密な時を

プールで戯れる様子に例えた草野さんのセンス。

官能的で、好きです、こういう表現。

待ち焦がれた二人の「プール」にはねをあげて急ぎます。

 

「大きな姿」とは君のことでしょう。

僕の意のままにならない、

太刀打ちできない存在であることがわかります。

 

「水しぶき」はバタ足で君がたてたものでもあると思います。

僕は水しぶきをたてて、はねをあげて「この時」を待ったのに、

君が水しぶきを残して僕から離れていくような気がしています。

僕にはバタ足で泳いでいく君の後ろ姿しか見えていません。

 

この「後ろ姿しか見えない」=「本心がわからない」

ということを感じさせる表現は、

「日曜日」でも使われています。

 

lovetopaz.hatenablog.com

 

 

草野さんの、水や体(の一部)を表現する歌詞には、

何かエロスを感じさせるものがあると思っています。

 

二人はかなり深い関係なのでしょうが、

それだけに、君の本心がわからない僕には

もどかしいばかりなのです。

 

すぐそばの、腕の中にいる君なのに、

手を伸ばしても届かない存在のようです。

 

孤りを忘れた世界に 白い花降りやまず

でこぼこ野原を静かに日は照らす

 

草野さんの歌詞で「白」という色には、

明るい良い意味を持たせていると思います。

久々に一緒の時を過ごし、

君をその手で抱きしめることができたのでしょう。

 

「でこぼこ野原」は、二人の置かれた状況。

決してなだらかな野原ではなく、

不意の穴が開いていたり、大きな石がむき出していたり、

歩きにくく険しい野原なのです。

 

それは、温度差を感じる二人の関係だけでなく、

前途多難な先行きまで示唆していると思います。

 

そんな危うい関係の二人にも

つかの間の幸せな時間が得られた。

 

でも、僕の心は満たされません。

 

この歌詞の後、

「あ~あ~、あ~あ~あ~」という

Cメロがあります。

なんとも儚く切ない草野さんの声。

 

こういう関係に落ちてしまった自分、

君から離れられないどうしようもない自分、

どうなろうと、(笹船のように)流れるままにという

許容したような開き直ったような気持ちが汲みとれます。

 

(*)くりかえし

 

このAメロで歌が終わります。

 

君に会えた喜びに身を委ね

夏蜘蛛のように絡まり合う。

ひとときの、つかの間の逢瀬。

 

 

全体を通してAメロで流れるベースのリズムが独特です。

まるで

「脈拍のおかしなリズム」(「ウサギのバイク」)のようです。

期待と不安が入り混じった高揚感でしょうか。

本当はこのまま君を離したくないのでしょう。

 

このリズム、妙にクセになり私は好きです。

 

lovetopaz.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

【歌の感想】

 

気怠い午後の情事・・・、

といえば大人びて肉感的な印象がありますが、

草野さんの少年のような歌声で

年上の女性に振り回されている

大人になりきれていない若者の

やり場のない苛立ちと切なさ・・・

という印象になっていると思います。

 

そんな気怠いイントロから始まります。

 

 

やっと会えたけど、心は不安で一杯。

ひとときだけで、また離れていってしまう君。

今度はいつ会えるともわからない君。

きっと気まぐれで思わせぶりな女性なのでしょう。

 

不安はあるけど、

なるべく考えないようにして

君との刹那の時に身を委ねる・・・

 

ちょっと切ないですね。

 

 

この歌に「プール」という歌詞は出てきません。

 

プールはやっと会えた二人の「世界」。

でもそれは、プールのような閉塞感のある「世界」。

壊れそうな笹船は、広く洋々とした場所ではなく

淀みとも思われるようなところに流されるばかり。

 

そして、浅い囲われたプール、

見方を変えれば、

社会の冷たい風当たりのない状態でも

君をつかまえておくことができない。

 

バタ足の君を追いかけていけない辛さ。

浅くて狭いプールの中でもがき苦しんでいる滑稽さ。

 

そんなことを僕は痛いほどわかっているのです。

それでも君なしではいられない。

 

なんとも切なくやるせない歌です。

 

 

ここまで読んでくださって、ありがとうございます。