また君に会いたいとか

日々の備忘録

【勝手に解釈】「多摩川」(スピッツ)

 

 

 

こんにちは、トパーズです。

 

 

 

多摩川(作詞・作曲:草野正宗は、

スピッツの4枚目のアルバム

『Chrispy!』(1993年)の

9曲目に収録されています。

 

 

☆川向こうの街の君に

 

 

 

※あくまで私なりの解釈で、

 これを強要するとか、他の解釈を否定する意図はありません。

 【勝手に解釈】は、私の妄想のページと思ってください。

 

 

 

青文字は、

多摩川(作詞・作曲:草野正宗)より抜粋

 

 

蒼白き多摩川に 思い浮かべて

すべるように穏やかに 今日が暮れてゆく

「すべるように穏やかに」という表現で、

僕は、平穏な日々を

淡々と過ごしているんじゃないかと

想像します。

何となく、

悲しい歌ではないような気がするのですが。

 

それに、日が暮れていこうとしているのに

川は「蒼白き」と表現しているのです。

 

それとも、かつて「知っていた」多摩川

「蒼白」かったのでしょうか。

 

後々にスピッツの歌を聴いていくうち

蒼(青)は、純粋で無垢な意味を、

白は、明るい希望が見える展望のある意味を

持ってるのではと思うようになりました。

 

僕はこの多摩川に、

何か特別な思いや約束事があるのでは。

 

 

 

風の旅人に 憧れた心よ

水面の妖精は 遠い日々の幻

僕の中に 君の中に(*)

風となって、

君の元に行きたいとずっと思っていた。

 

その頃は、君とは離れ離れで

会いたくても会えなかったのでは。

 

もしかしたら、何かのきっかけで

君に会えるようになったのかもしれません。

 

それとも、会おうと決心したとか。

 

君と僕を隔てる川だけど

君と僕を繋ぐ川でもあった。

そんな二人のために

「水面の妖精」がいてくれてたのです。

ある時は君の心を、ある時は僕の心を

伝えてくれていたのです。

 

でも、やがて会える。

 

 

(*)くりかえし

 

蒼白き多摩川に 思い浮かべて

僕は今日も多摩川のほとりで

君に会うことを夢見ています。

 

 

 

【歌の感想】

 

このアルバム「Crispy!」が出て、

「君が思い出になる前に」が気になって

スピッツとは何ぞや?

私がこれを借りた頃(すみません、借りました)

練馬光が丘に住んでいました。

 

その前に、武蔵小杉に住んでいた時期があって

通勤で多摩川東横線で渡っていました。

 

懐かしいなぁと思いました。

 

朝、電車が多摩川を渡るとき

一瞬視界が開けます。

 

満員電車の奥深くで

身長157㎝の私は

自分が痴漢に遭わないように、

自分が痴漢に間違われないように、

毎朝地味な攻防を続けていました。

体の前でバッグを持ち直したとき、

前に立ってた女性の腰あたりに当たったらしく

すごい形相で睨まれたことがあるのです。

(そ、そんな・・・・)

 

そして、中目黒での乗り換えに備えて

有利なポジションを確保するために、

揺れるたびに少しずつ移動していました。

 

そんなわけで、

明るいうちの多摩川を見たことが

ありませんでした。

 

だから「多摩川」=「蒼白い」というイメージがなく

当時は意味がよくわかりませんでした。

 

上流に行けば緑や黄土色のイメージになるので

やっぱり下流あたりかな、とか。

 

 

後にスピッツは、

「水色の街」(三日月ロック 2002年)をリリースします。

会いたくて、川を渡って君が住む街へ、という歌で、

その街のモデルは川崎らしいと聞きました。

ということは、その川は多摩川

 

なぜ水色?

川崎フロンターレ?とか想像しましたが、

この「多摩川」の歌で、

既に「蒼白き」という表現が使われていますね。

 

偶然かもしれませんが、

川を隔てた街に住む君に会いに行けそうなら

そこは「水色」の街で、川は「蒼白い」んですね。

 

君との関係性は不明ですが

ずっと僕の心の中に居続けていて

困難を乗り越えても会いたい

大事な人のようですね。

 

 

この歌詞がまるで自由詩のようで

8分の6拍子の淡々としたリズム。

サビから転調していくのが

聴いてて一層心地よい感じ。

 

草野さんのボーカルは、

一語一語を丁寧に歌っていて、

唱歌のようでもあります。

 

ずっとバックに流れるアルペジオ

幻想的で浮遊感があって美しいです。

 

 

ただ当初から

イントロから歌全体に、なぜか「天国への階段」

レッド・ツェッペリン感がつきまとっていて

ちょっと刹那的な寂しさを感じる歌だなと思っていました。

 

今でもまだ

「天国への階段」感があります。

なぜ?