また君に会いたいとか

日々の備忘録

【医師の言葉】「大人になったら治る」

 

 

こんにちは、トパーズです。

いつも読んでくださって、ありがとうございます。

 

 

 

ずっと曇りや雨続きの福岡ですが、

先日早咲きの桜を見かけました。

沈丁花も既に香っています。

 

 

春が忍び寄ってくる心地・・・

あ、それはスピッツ(「さわって・変わって」2001年)

ここの歌詞好きなんだ~。

 

まだ少しの間寒い暖かいを繰り返して

春になっていくんでしょうね。

 

 

 

そんな私は、子供の頃から、

寒くなると「しもやけ」ができていました。

しかも手の指にできるから、

人目について恥ずかしかった。

 

 

妹は父に似て、白魚のようにきれいな手。

「しもやけ」なんて、できたことない。

 

母は小さい頃からよく「しもやけ」ができていたそうで

私は母に似たようです。

 

 

「似んでいいところが似てしまったなぁ。」と言いながら

母は申し訳なさそうに

私の手に薬を塗ってさすってくれていました。

 

秋になる頃から、

ビタミンEの塗り薬をこまめに塗って、

血行をよくするため

自分でもよく手をさすって、マッサージしていました。

 

それでも「しもやけ」ができるんです。

 

酷いときは「しもやけ」部分が裂けてしまい、

化膿するといけないので

病院で薬を塗って包帯を巻いてもらっていました。

 

ピアノを習っていたので、

弾くときも大変でした。

 

 

だから、転校が多かった私は、

小学校を変わるたびに、冬になるのが憂鬱でした。

でも、どの小学校でも

「しもやけ」のことで何か嫌なことを言われたり、

いじめられたりすることはなく、

掃除の時間の雑巾がけを代わってくれたりして

とてもありがたく、嬉しかったです。

 

 

小学5年生のとき「しもやけ」で通っていた病院の担当は、

お兄さんのような若い先生でした。

私の指に包帯を巻いてくれながら、

 

「大人になったら治るよ。」

 

と驚くようなことを言ったのです。

 

 

大人になったら治るような疾患なんて

あるわけない、と

小5の私でも怪訝に思いました。

きっと私を慰めるために

そんな夢物語のようなことを言ってくれてるんだ、と

素直に喜べませんでした。

 

訝しがる私を、先生はただニコニコ笑って

いつも迎えてくれました。

 

 

小6になって、今の実家に越してからも、

冬になるとお約束のように「しもやけ」ができました。

中学に入り、部活に憧れの先輩ができてから

冬が来るのが一層憂鬱になりました。

 

学年が違うから机を並べることはないし、

3年生だったその先輩は夏で部活を引退してるから

冬に活動を共にすることなどないけど

(話すらしたことなかったから当たり前だけど)

「しもやけ」の手を見られるのが嫌で、

先輩の姿は見たいけど、自分は隠れていたい、という

人に理解されにくい葛藤がありました。

 

 

ところが!

中1の冬に、まったく「しもやけ」ができなかったのです!

前の年まで、冬には必ずといっていいくらいできてたのに!

 

そして!

それ以降現在に至るまで、

一度も、ただの一度も

「しもやけ」はできていないんです!

 

母でさえ、今でもたまに

「足の指にできて痒い」とか言ってるのに。

 

私は小6の冬以降、

これといってマッサージとかビタミンEとか摂ってないのに

「しもやけ」はできなくなりました。

 

 

娘は幸い、夫に似て白魚のような手。

「しもやけ」もできたことはありません。

夫は、女性にもめったに見ないような

白くて華奢な手指なんです。

おかげで娘は、箸より重いものを持ったことがないと

思われそうな白くて華奢な手で、

私に似なくてよかったと思っています。

 

 

 

あのときの若い先生。

ありがとう!

「大人になったら(中1だけど)治る」ことって、

あるんですね!

 

 

 

とにかく作ったベビーメリーもどき

 

 

 

こんにちは、トパーズです。

いつも読んでくださって、ありがとうございます。

 

 

 

12月に、娘に産まれた子供のために、

手元にあったフェルトでメリーを作りました。

 

 

 

 

 

ぶらさげた動物たち、地味な色合い
キリンの小ささよ

 

 

手元にあったフェルトなので

淡いパステルカラーや、

明るいビタミンカラーでもなく、

何とも地味な色合いになってしまいました。

 

フェルトも、手芸店でいろいろ選べばいいものを

腰痛のせいで諦めました。

 

刺繍糸はなんとかなりましたが、

唯一カバの色味の糸がなく、

ミシン糸を使いました。

 

 

 

明るくなるようにヒツジも加えた
マツゲの向きが逆?

キリンより大きくなったトリ

 

 

時間が取れる限りぬいぐるみを作っていましたが、

何だかとても楽しくて

腰痛の辛さも忘れるくらい。

ぎっくり腰で安静を要するときだったので、

とりとめもなく、じゃんじゃん作りました。

 

思いつく可愛い動物たちを

ひたすら作り、

もし落ちても痛くないように

使ってない刺繍枠に太めの毛糸を編みつけ、

かぎ針で細めの毛糸を通してぶら下げ、

「メリーもどき」ができました。

 

 

 

頂きものの、使ってなかった「スマホホルダー」の

スマホを挟む部分を取り外して

そこに、これまた家にあった「カラビナ」を通して

そこにメリーをぶら下げました。

 

 

 

スマホホルダー」は

クリップでいろんなところに挟むことができ、

ネックが長く自由に曲げられて

高さや角度を変えられるので

メリーが落ちないように何度も確認し、

そこが一番気を使ったところです。

あと、ぶら下げてまっすぐになるようバランスも。

 

 

完成した写真を撮ってないのが残念。

 

 

完成品はもう既に娘宅に届けていて、

ベッドに取り付けて使ってくれています。

 

回らないし、音も出ない、メリーもどきです。

でも、目で追って笑ってくれていて、

感無量です。

 

なぜ作るに至ったかというと。

 

 

 

私も妹も里帰り出産で、

産後1カ月程実家で過ごしました。

 

そのとき使ったメリーが

実家にまだあります。

娘のために用意したものです。

とても素敵なメリーで、

娘のあと、姪たちも使いました。

 

何よりブラームスの「子守唄」の

オルゴールの音色がとてもきれいで

アレンジも私の好きな感じでした。

 

 

そのまま実家で保管していたので、

昨秋高松に帰省した際、

そのメリーを持ち帰ろうと思っていましたが、

いくら探しても見つからず・・・。

 

母は、「押し入れのどこかにある」と言うのですが。

 

探せるところは探したのですが。

 

私は押し入れの天袋の奥にある

段ボール箱の中ではないかと思っています。

怪しい段ボール箱が2か所にありました。

 

ただ、一番座面の高いエレクトーンのイスに乗っても

私では手が届かず。

かといって、

背は高いけど老齢の父に頼むわけにもいかず。

落ちて怪我しては元も子もありません。

 

 

家では、天袋の段ボール箱

組み立てるときに下に丈夫な荷造り用の紐を通して

長めに輪っかを作り、

輪っかを引っ張るだけで

手前に引き寄せられるようにしています。

ついでに、段ボール箱の側面に、

入れているものを書いて。

実家ではそうやってなかったのです。

今後の実家の片付けの課題です。

 

 

 

そういうわけで、持ち帰れなかったメリー。

どうしたものかと思っていた矢先、

腰を傷めてしまい、

やむなく自分で作ることにしました。

 

せっかくの初孫なのだから、

新しいのを買ってあげればいいのに、と

思われますが、

腰を傷めてしまって

お店を廻ることができず、

ネット通販で「これ」というのがあっても

視聴できなかったり。

 

何より、実家にメリーがあるはずだから、

という気持ちがありました。

 

娘は実家のメリーを楽しみにしててくれたようですが、

別に、なくてもいいよ、と

言ってくれました(申し訳ない)。

 

 

 

娘宅では、

ベビーベッドもレンタルだし、

必要なものを必要なだけ買う感じ。

既にわかってるものはネット注文。

合理的でいいと思います。

 

私の出産の頃は、

マタニティ雑誌くらいしか情報がなく、

母の、

「○○も要るやろ、☆☆もあったほうがええわよ。」

と、経験者たちに言われるままに

いろいろと買い揃えました。

というか、

私の出産までに母が用意してくれていました。

(私は仕事の都合で産休に入っても仕事してました・・

 痩せ型なので、妊婦だと気付いてない人もいたし)

 

 

娘の夫くんは、

予定日前から育休を取ってくれていて

オムツ替えや洗濯、買い出しもしてくれていて、

何とも心強く、ありがたいです。

 

娘は1年の産休がありますが、当初、

「産後はうちでしばらく養生したらいいよ。」

などと娘に勧めていて、

うちには帰らないと聞いたとき、

ちょっと寂しくて張り合いがないと思いました。

 

でも、

11月末まで母の入院で高松に帰ることになり、

12月に入って早々に私が腰を傷めてしまったから

結局、これでよかったんだな、と感じています。

 

娘や夫君に疲れが出始めたり、

用事があるときは

いつでもサポートできるよう

調子を整えておこうと思っています。

 

ただ、

順調に体重が増えてる赤ちゃんは

抱っこしてあやしていると

腰や腕に結構きます。

嬉しい痛みです(泣)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はてなブログのキャッチコピー:「書き残そう、あなたの人生の物語」 この言葉が好き。

 

 

こんにちは、トパーズです。

いつも読んでくださって、ありがとうございます。

 

 

私はいつも、自宅の自分のPCで

このブログを書いています。

ブログに書きたいと思っていることのメモも

同じPCのフォルダーに書きとめているからです。

 

 

昨秋に高松に帰省していた2か月ほどは

自分のPCを持ち帰らなかったので、

スマホでブログを書いていましたが、

慣れないのと、

目まいでクラクラしていたことも多く、

スマホで作業するのはしんどかったです。

 

そういう時は、

小さい字を読むことや

ブルーライトや首肩の凝りも含め、

あまりスマホを見ないほうがいいかなと思っていました。

 

 

毎回、PCで「はて」と入力して

はてなブログを検索しています。

 

 

そうすると、

出てきた最初のページの右側に

はてなブログ」のWikipediaの一部が表示されます。

 

そこに出てくる

 『キャッチコピーは、

   「書き残そう、あなたの人生の物語」』

というフレーズが毎回目に入り、

その「書き残そう、あなたの人生の物語という言葉に

毎回刺激を受けています。

 

はてなブログのトップページには

表示されていないのです。

(どこかに表示されてるのかもしれませんが)

 

 

そう、自分の人生の物語を書き残せるのは

自分しかいない。

 

そういう気持ちにさせてくれて、

書くことを後押ししてくれているようです。

(なかなか書けないんですけど)

 

 

最近、はてなブログのメニューが変わって、

最初は「工事中」なのかな?

と思っていましたが、

どうやら変わる(変わった?)ようですね。

(まだ慣れなくて使いにくい)

 

 

どうか、あのキャッチコピー

「書き残そう、あなたの人生の物語

ずっと表示させておいてくださいね。

 

 

 

チョコの缶

 

 

蓋の裏側 かわいい

 

 

中身?

 

 

サイズがぴったりのコースター入れになっています
缶もコースターも昔のもの

 

 

コースターやドイリー、箸置き等の収集が好きなので

缶や箱は便利です。

特にバレンタイン時期は、

素敵な缶や箱がたくさん登場するので、

毎年楽しみです(何が目的?)。

 

 

今年は忙しくて、

それにいろいろあって、

バレンタインのチョコ探しができませんでした。

 

腰を傷めて用心してるのや

新生児に接する機会が多いので

なるべく人ごみは避けています。

 

夫の持ち帰った頂き物のチョコ等を

ありがたくいただいています。

 

 

 

【勝手に解釈】「日なたの窓に憧れて」(スピッツ)

 

 

こんにちは、トパーズです。

 

 

 

日なたの窓に憧れて(作詞・作曲:草野正宗は、

スピッツの3枚目のアルバム

『惑星(ほし)のかけら』(1992年)の

9曲目に収録されています。

 

 

☆追いかけて追いかけて、

  二人のメリーゴーランド

 

 

 

※あくまで私なりの解釈で、

 これを強要するとか、他の解釈を否定する意図はありません。

 【勝手に解釈】は、私の妄想のページと思ってください。

 

 

イメージ
としまえんのメリーゴーランドが好きだった。

 

 

歌詞を少しずつみていきます。

 

 

 

君が世界だと気づいた日から

胸の大地は回り始めた

 

「君が世界だ」って言われてみたい・・。

 

寝ても覚めても君のことばかり。

君のことしか目に入らないから、

僕の毎日、僕の人生は君を中心に回っている、

ということかな。

 

そして、そのことに「気づいた」

一目ぼれで一瞬で恋に落ちたというより

いつの間にか、

君のことが気になって気になって

どうしようもなくなってきたんでしょうね。

 

僕の胸が高鳴りはじめ

つまらないと思っていた毎日が

生気を帯びてきたという感じでしょうか。

 

恋心や高揚感、情熱が

きしんでいた僕の胸の歯車の

潤滑油になったみたいな。

 

 

切ない空に浮かべていたのさ

かげろうみたいな二人の姿を

 

でも君は僕の気持ちを知ってか知らずか。

気づいてはいるけど

さらりとかわしているような気がします。

 

いつか両想いになって、

二人で人生を歩んでいきたいと思ってても

なかなか難しいのだと思われます。

思い浮かべても、「かげろう」のように儚く、

イメージしにくいのでしょう。

なかなか手強いのかな?

 

 

すぐに

気絶しそうな想いから放たれて

 

君との幸せな未来を思い描くと

嬉しすぎて恍惚となるのだけど

すぐ「現実」が邪魔をして、

我に返ってしまう。

 

その繰り返し。

 

もうこんな苦しい思いは

せずにすみたい。

 

「君」との関係は

いろいろと難題が多いのでしょうか。

 

 

君に触れたい 君に触れたい 日なたの窓で

漂いながら 絡まりながら (*)

 

 

「君に触れたい」は、実際に触りたいということではなく

「君の本心を知りたい」

「僕を本当に好きになってほしい」

「もっと親しい間柄になりたい」という

初歩的な願望だと思います。

 

そして、題名にもなっている

「日なたの窓」

これは、文字通り「日の当たる窓」「暖かい窓」

というふうにも考えられますが、

「人前で堂々といられる」という意味でもあるかと思うのです。

何となく二人は

「日かげの窓」にしかいられないようで。

 

僕の片思いなのでしょうが、

君の方には、僕と堂々と付き合えない事情があるのでは?

君がどういうつもりでいるのか謎ですね。

 

僕にとって手の届かない(叶わない)君ならなおさら

その眩しいくらい魅力的な君のことを

「日なたの窓」と形容してるのかもしれませんね。

 

「漂いながら」「絡まりながら」

突き放したように見せて様子をみたり、

憎まれ口をたたいてみて様子をみたり、

でも、そんな駆け引きにも

君となら喜んで身を投じられる、

っていう僕の覚悟が感じられます。

 

 

 

それだけでいい 何もいらない

瞳の奥へ僕を沈めてくれ (*)

 

「君に触れたい」

それが叶うなら

「それだけでいい 何もいらない」とまで

思わせてしまう君。

 

私なら、即「はい、喜んで!」と言っちゃう。

でもきっと草野さんは、

そういう女性には魅力を感じないのでしょう。

 

「瞳の奥へ僕を沈めてくれ」

それは、

君の目に僕しか映らないようにしてくれ、

僕のことだけを見つめていてほしい、

ということですよね。

 

何とも切ない・・。

 

 

日なたの窓に憧れてたんだ

哀しい恋のうたに揺られて

落書きだらけの夢を見るのさ

風のノイズで削られていくよ

 

恋をしたら、

そりゃ「日なたの窓」に憧れますよね。

でも僕にとっては、それは叶わない「哀しい」恋なんです。

 

「落書き」は、君への切ない思い。

夢の中なので、

叶わない思いも、

無茶な願いも、

ありえない夢も

みんな見ることができる。

ここの歌詞、すごく好きです。

 

草野さんの歌詞には、

叶う望みのない

自分の切ない願望を

「紙くず」や「チラシの裏に書いた

「落書き」のような表現で

よく使っていると思います。

 

 

でたらめに描いた バラ色の想像図

   「夜を駆ける」(三日月ロック 2002年)

 

 

ペンは捨てなかった

怠惰な命 紙くずの部屋にいた

  「トンビ飛べなかった」(スピッツ 1991年)

 

lovetopaz.hatenablog.com

 

 

 

 

いつも

僕の欲しいのは 優しい嘘じゃなくて

 

ここのフレーズがすごくすごく切なく哀しいです。

 

「(私も)好きよ」と言われても

本当に好きなの?

本当に自分だけを?

 

自分を傷つけないように気を遣ってるって、

気づいてるんですよね。

 

本心から言ってくれてると思えなくて

本心を隠してる、

何を考えてるかわからない、

と思ってるから

「優しい嘘」だと思ってる。

というか、「優しい嘘」だと知っている。

 

そこまでの気持ちがないなら

下手にごまかすより

そうはっきり言ってほしい。

 

 

じゃあ、欲しいのは何?

それは「君の本当の気持ち」

できれば「本心からの愛」

 

でも期待薄いんでしょう。

それが何とももどかしい。

 

期待させられて惑わされて、

ここまで思わせられるって・・。

 

 

(*)くりかえし

 

 

メリーゴーランド メリーゴーランド 二人のメリーゴーランド

メリーゴーランド メリーゴーランド 二人のメリーゴーランド

ずっと このまま ずっと ずっと

 

ここのCメロは幻想的できれいなメロディーですが、

ちょっと哀しくて

 

「二人メリーゴーランド」なので、

君といるときは、

ずっとこのまま時が止まって、

いや、君とこのままどこまでも流れていく

みたいな「願望」というか「幻想」でしょうか。

 

二人が同じ馬車に乗っていたら、

二人でずっと一緒にいることができます。

ずっと、このまま、止まらないでほしい・・。

 

でも私は、僕と君と、

それぞれ馬に乗って回っているんじゃないかと思います。

メリーゴーランドなので、ずっと同じ速さで回るので

どちらかがずっと追いかけているか、

並走しててもずっと君に届かない寂しさがあります。

 

僕と君とは、それと同じで

交わることなくずっと平行線のまま。

 

そんな哀しい未来を暗示したような歌詞だなと思いました。

 

 

実際はこのCメロは、どっちなんでしょうか。

そういう意味でちょっと謎です。

 

 

(*)くりかえし

 

 

 

【歌の感想】

終始、歌のバックで「ピポパポ」が鳴り続けていて、

明るく楽しい雰囲気を醸しています。

「メリーゴーランド」という遊園地の乗り物も登場します。

でも、私はすご~く切ない歌だと思っています。

 

このアルバム「惑星のかけら」は、

1曲目の「惑星のかけら」をはじめ、

「ハニーハニー」や「僕の天使マリ」など

僕が君の本心をわかりかねて、

とても辛く苦しい思いをしている歌が多いです。

 

前作のアルバム「名前をつけてやる」でも

片思い(なのかどうかも不明な)の

ひたすら君に振り回されている歌も多かったです。

 

このアルバムでの、

「骨の髄まで愛してよ」

「僕に傷ついてよ」   (「惑星のかけら」)

「本当のことを教えてよ」(「ハニーハニー」)

「もうどこへも行かないで」(「僕の天使マリ」)

など、

若い男性がこれほどの思いをぶつける歌詞って、

今までなかったんじゃないでしょうか。

 

あったとしても、

「歌詞」として「きれいに」表現されてるでしょう。

 

スピッツの歌は難解でどの様にも解釈できると言われています。

私は私なりの解釈ですが、

これほど格好つけないで気取らないで、

(天邪鬼的にごまかしたりしてる面はありますが)

ストレートに表現することもあることに驚きました。

 

ここまでのスピッツの歌で、

一番切ない歌だと思っています。

草野さんの声も泣きそうですよね。

 

 

あと、ずっと鳴り続けてる「ピポパポ」は、

歌の始めと終わりでは音階が違ってるんですよね。

 

 

 

【勝手に解釈】「アパート」(スピッツ)

 

こんにちは、トパーズです。

 

 

まだ3枚目のアルバム。

気の遠くなるような枚数(曲数)があるので、

これからは気合を入れて端折って??いきたいと思います。

 

とはいっても、

私の好きな初期のスピッツ

自分の解釈を上手く表現しにくい部分もあって、

なかなか葛藤があります。

 

 

 

「アパート」(作詞・作曲:草野正宗は、

スピッツの3枚目のアルバム

『惑星(ほし)のかけら』(1992年)の

5曲目に収録されています。

 

 

☆僕は君と今でもそこにいる

 

 

※あくまで私なりの解釈で、

 これを強要するとか、他の解釈を否定する意図はありません。

 【勝手に解釈】は、私の妄想のページと思ってください。

 

 

 

自分を心配して思い遣ってくれる彼女がいなくなって

初めて彼女の大切さに気付き

現実に突き落とされている。

 

いや、現実を直視できないで

まだ後悔と夢の中で漂ってる気がする。

君といた時間が僕にとってはもはや夢なのです。

だから「朝」も「季節」もない。

 

 

 

歌詞を少しずつみていきます。

 

 

君のアパートは今はもうない

だけど僕は夢から覚めちゃいない

 

「君のアパート」というところから

僕と君は同居してたわけじゃなさそうです。

 

でもそこは

二人の時を過ごしていた

思い出の詰まった場所なのでしょうね。

 

「今はもうない」という表現から

ちょっと古くなったアパートなのかな。

 

 

スピッツの歌には、

古いアパートのベランダに立ち

僕を見下ろして少し笑った

という歌詞もあります(夏の魔物

 

lovetopaz.hatenablog.com

 

 

 

 

イメージ
もっと古いアパートだと思う。

 

 

この歌のアパートは、

老朽化したかで、取り壊されて

更地になってるか、

別の建物が建ってるのでしょうが

そこのところは問題ではなく

 

君も「今はもういない」ということ。

二人の時間ももう戻らない、ということ。

 

 

アパートはもうないけど

でも、僕の心の中には

君と僕がまだそこにいるのです。

 

 

一人きりさ 窓の外は朝だよ 

壊れた季節の中で

 

「窓の外は朝」だけど

僕の心にはずっと朝がきていない。

 

「壊れた季節」・・・、

僕の中で時が止まってしまったのでしょうか。

 

外の季節は移っても

僕の心には何も映らないのでしょうね。

「あの頃」の君と僕と、その後悔しか。

 

 

誰の目にも似合いの二人 

そして違う未来を見てた二人

 

「誰の目にも似合い」の二人は、

おそらく年も近く、

学生とかの

同じような状況だったのでしょう。

 

「そして」という接続詞は、

実際は「でも」という逆説の接続詞を使ってもいいところ。

 

「違う未来を見てた」ことに後になって気付き

そのあまりの痛手に、それを認めざるをえなく、

確かに自分とはそもそもベクトルが違っていたのか?と、

あえて「そして」と言ったような気がします。

草野さんだから。

 

 

 

小さな箱に君を閉じ込めていた 

壊れた季節の中で

 

「小さな箱に君を閉じ込めていた」という表現から、

君を監禁していたという解釈もあるようですね。

 

 

今となっては、ちっぽけでくだらないとさえ思える

自分の変なこだわりや見栄や意地や強気。

 

「若かった」といえばそれまでだけど

人の話もろくに聞かず

独りよがりの向こう見ずだったのかもしれません。

 

君は僕を思うがゆえに「理解者」だったのかもしれないけど

だんだん君の助言も聞かなくなったのかもしれません。

 

僕のつまらない意地や見栄で、

「理解者」であることを強要していたのかもしれません。

 

そういう意味で、じぶんのわがままで

「君をいつも困らせ辛い思いをさせていた」

あるいは、

「君を束縛していた」

ということかと思います。

 

 

そして、今となっては

当時は「壊れた季節」だったと言っています。

僕自身が迷いや挫折、

思うようにならない苛立ちとかで

自分自身や周りが見えてなかったのでしょうか。

 

 

そう 恋をしてたのは僕のほうだよ

枯れていく花は置き去りにして

いつもわがまま無い物ねだり 

わけも解らず 青の時は流れて

 

君は僕のことが好きで

そんな君を、僕も好きだった。

ずっと僕を「理解」してくれると思っていた。

そんな君が自分のそばにいるのが

当たり前だと思っていた。

 

「枯れていく花」は、ひとつには

君のことではないでしょうか。

僕を理解し尊重していたけど

自分の気持ちは彼には通じてくれないのでは、と

彼に付いていく自信を失ってきたのでしょう。

そして、優しい君は、

僕に気付かれずに悟られずに、

静かにそっと身を引いたのではないでしょうか。

 

「枯れていく花」のもうひとつの意味として、

自分の夢やこだわり、もあると思います。

意地っ張りで向こう見ずな僕は、

独りよがりな考えで物事を進めるあまり

君の助言など聞かず、

簡単に諦めてしまうところもあったのでは?

そして更には、

君が抱いていたかもしれない夢

(もしかしたら僕との未来)も

君はだんだん諦めざるを得なくなってきたのかも。

 

どちらの場合でも、

枯れてゆく花には水や養分をあげればいい

また元気に花を咲かせるかもしれない。

 

もっと君を気にかけていたら。

 

つまらない意地やこだわりで君を心配させ

そんな気を遣ってくれる君を

またもつまらない意地やこだわりで

つっぱねていたのかもしれない。

 

そばにいて手を差し伸べてくれる人を

置いてきぼりにして、

いつも「無い物ねだり」ばかり。

 

君がいなくなった訳に

後になってやっと気づいた感じです。

 

それは「青の時」=「若かった」と言っています。

ずっと「理解者」だと思っていた君が

ずっと僕のそばにいてくれて

僕はずっと夢を追い続けることができると

無邪気に考えていた若く未熟な人間だったことに

今更気づいた。

 

 

愛し合っていて

お似合いだと言われていて

同じ夢・未来を見てると思っていたけど

未来線は交わることはなかったわけですね。

 

 

 

 

君のアパートは今はもうない

だけど僕は夢から覚めちゃいない

一人きりさ 窓の外は朝だよ 壊れた季節の中で

 

僕の目には今でもそこに君のアパートがあり

いつも自分を思い遣ってくれていた君の笑みがある。

自分の夢や生き方を熱く語る自分と

それを温かく応援してくれていた君との

未熟だけど若い情熱がよみがえる。

 

それと同時に、

独りよがりになっていった自分、

少しずつ笑みが陰っていった君。

そんな情景が思い起こされ、

月日が経っても自分の中では

そこで時間が季節が止まったままなのです。

 

 

 

【歌の感想】

ハーモニカの音色が昭和のフォークソングを彷彿とさせます。

でも、赤ちょうちん」(かぐや姫 1974年)のような

裸電球のアパートではない。

赤ちょうちん」は女性目線の歌詞。

でも、どちらの歌にも何とも言えない悲壮感があります。

 

いなくなって初めて気づく君の大切さ。

自分の情けなさ。

 

彼を応援してたけど、

彼のこだわりに付いていけなかったのかもしれない。

ひょっとしたら彼女には彼女の夢があったのかもしれない。

この歌の二人がどうだったのかはわからないけど。

 

 

 

最初のAメロに戻って終わる歌。

スピッツにはいくつかあるけど、

自分の気持ちを反芻しているようで、好きです。

 

張りのない切ないボーカル、

それに対し、

イントロからアップテンポで軽快なリズム。

終始美しいアルペジオのギターと

独特のメロディーラインを奏でるベース。

途中に入るハーモニカの途方に暮れそうな音色。

それらが不思議と合わさって切ない失恋ソングになっています。

 

とりわけイントロ部分は、

スピッツの好きなイントロ10選に入ると思っています。

(10選がいくつあるかわからないけど)

 

 

映画『裏窓』(アルフレッド・ヒッチコック)と、その原作(ウィリアム・アイリッシュ)

 

 

昨年4月に図書館に予約していた本が、

やっと私に順番が回ってきて、

「届いています」というメールを受けて借りに行って、

先日ようやく返却しました。

 

こんなに予約者が多いと

首を長くして待ってたり、

逆に忘れかけている人もいるかもしれませんよね。

(私は忘れてました)

 

 

実は、昨秋高松に帰省中にも

昨年4・5月に予約していた本が届いたという連絡があって

泣く泣くキャンセルしました。

よりによって2冊も。

この2冊は同じ作者(日本人)のものですが、

今回読んだのは、違う作者の翻訳もので、

これだけ日数がかかるということは、

どれも人気なのでしょうね。

 

その翻訳もの

(「マット・ヘイグ」著『ミッドナイト・ライブラリー』)

を読みながら、

あの「主な舞台となる場所」って、どんな造り?

もし実写化されたらどんな感じになるんだろう、

などと考えていて、何となく思い出したのが

映画『裏窓』と「ウィリアム・アイリッシュ」です。

 

 

 

 

 

 

 

Wikipediaより

 

 

 

 

映画『裏窓』といえば、

ヒッチコック監督の有名な映画。

 

この映画の原作が「ウィリアム・アイリッシュ

だということも知っていましたが、

観たときの驚きが、かつてないほどのものでした。

 

 

ウィリアム・アイリッシュ

(「コーネル・ウールリッチ」名義でも作品を残しています)は、

アメリカのサスペンス作家で、

何とも形容しがたい作風が好きで

一時期はまってしまい、

彼の作品を読み漁っていました。

 

都会的でスマートなのですが、

常に悲壮感が漂っていて、

刹那的で厭世的でもあり

全体的に「モノクロ」な感じです。

 

これは、邦題が「黒い~」「夜の~」「死の~」みたいなものが

多いイメージからかもしれませんが。

「幻の女」は寧ろ派手な色彩のイメージがありましたが、

全体的に私のイメージは「モノクロ」です。

 

 

私はそれまで、「アガサ・クリスティ」や「松本清張

レイモンド・チャンドラー」等

サスペンス物を多く読んできました。

 

レイモンド・チャンドラー」は、

ハードボイルドと言われていますが

私はハードボイルドが好きというわけではなく、

レイモンド・チャンドラー」の作品が好きです。

(「ロバート・B・パーカー」も好きですが)

 

レイモンド・チャンドラー」の作品

とりわけ「フィリップ・マーロウ」ものは

ちょっと切ないんです(あくまで私の感想)。

ハードボイルドのドライさの中にある

ウェットな切なさが好きです。

 

そんな

レイモンド・チャンドラー」、「ロバート・B・パーカー」

をよく読んでいるうちに、

彼らの作風とは全くタイプが違うにも関わらず

ひょんなことから「ウィリアム・アイリッシュ」に

はまってしまいました。

 

ウィリアム・アイリッシュ」はハードボイルドではないけど

ドライな部分が多く、

逆に切なさやウェットな部分はあまり感じませんでした。

むしろ冷たさや諦観のようなものが多いような

(あくまで私の感想です)。

 

その魅力にすっかりはまってしまったあと、

テレビだったかで偶然『裏窓』を観ました。

 

観ているあいだに、

これは本当に「ウィリアム・アイリッシュ」?

と、その原作との乖離(私の感想)に驚きました。

 

映画のイメージ写真は、

ウィリアム・アイリッシュ」の「裏窓」とは

大きくかけ離れているのです(私の感想)。

なぜなら、原作には主人公に恋人などいないからです。

 

美しい「グレース・ケリー」、

若い女性の服装や調度品等の華やかさは

原作にはなく、

もちろん、恋人や他の人物との

明るくコミカルなやりとりもなく。

 

少なくとも私にとって原作は「モノクロ」で

決して華やかな「カラー」ではありませんでした。

 

 

そのとき、「映像化するってこういうことなんだな」

と思ったのです。

映画化するとなると

興業収入も考慮に入れないといけないから、

どうしても華を添える「女性」の存在が

必要になってくるんでしょうね。

そしてロマンスを期待させる甘い雰囲気とか。

原作だと、男性ばかりで淡々と物語が進むだけですから。

 

原作者「ウィリアム・アイリッシュ」は

どう思ったんだろう?

了承したから映画化されたんだろうけど。

 

 

ただ、原作ではわかりづらかった建物の構造等が

映画ではよく理解できて、

そういう意味では「視覚効果」があるんですね。

 

ダヴィンチ・コード」でも、

原作ではよくわからなかった建物の構造や地理が

映画で観てはじめて理解できたし。

 

 

なかなか難しいことかもしれないけど、

原作の世界観が大きく変わってしまうと

「そんなんじゃない」というモヤモヤが残ってしまう。

映画『裏窓』は、私にとってモヤモヤが残るものでした。

 

 

 

何年か前、

松本清張作「張込み」の2時間ドラマを観たとき、

あの短編をどうやって2時間ドラマにするんだろう、

これといって大きな山場もないと思うんだけど、

と思っていたら、

原作とは展開がかなり変わっていて、

原作の、刑事が淡々と粛々と事件をさばいていく

あの潔さ(それがこの作品の魅力だと思っている)

が全く感じられなくて(私の感想)

ちょっと残念でした。

 

「張込み」って、こんなストーリーなの?

と勘違いする人が出てくるんじゃないの、

と文句を言う私みたいな人もいるかもしれない。

(私だけかな?)

 

 

でも、

「原作」は揺るぎないものとして存在しているから

いろんな味付けで映像化されたものも

楽しみの一つと考えれば。

 

 

昔、出版社のキャッチコピーに

「読んでから観るか、観てから読むか」

というのがあったけど、

どっちがいいかという楽しみ方もあるけど

どっちも楽しんでほしいということでしょうね。

 

 

今まで観た映画やドラマで、

原作を知らずに観て

よかった~と思ってるものも結構多いと思うし。

 

 

ただ・・・

私は原作の世界観が好きになるほうなので、

本音は、世界観は変えてほしくないです。

 

アニメの実写化とかも、してほしくないタイプです。

アニメは既に「視覚効果」があるわけだし・・。

 

 

私は変わってるのかな?

頭が固いのかな?

もっと柔軟に考えるようにしないといけないかな?

 

 

 

などといろいろ考えるきっかけになった、

今回読んだ、

『ミッドナイト・ライブラリー』(「マット・ヘイグ」)。

きっかけといっても、

本の主題と全く関係ないことで申し訳ないです。

内容は若い人に向いているんじゃないかと思います。

でも、

もし映像化されたら、どんな感じになるのか観てみたい。

 

 

【医師の言葉】「具合悪くなくても来ていいからね」

 

 

巷ではインフルエンザがはやってるようです。

 

私は今までに3回罹患しました。

最初はたぶん大学生のとき。

 

 

通っていた大学には「保健管理センター」

というのがあって、

診療所なのですが、

医学部から交替で先生が来ていました。

内科は毎日あるけど、

科によっては曜日が決まっていました。

 

私は正月明けにインフルエンザにかかり、

(当時は「流感」(流行性感冒)といってた)

そこの診療所で診てもらったのですが、

内科の先生が同じ高校の先輩でした。

 

先輩といっても父親くらいの年のおじさんで、

私が同郷だと知ると、いろいろ話しかけてくれました。

 

「具合悪くなくても来ていいからね。

 いろんな話聞くよ。

 就職のこととか、恋愛のこととか。」

 

そばの看護師さん(女性)もニコニコしてました。

 

私は、若者特有の尖ってた頃だったのか、

 

(具合悪くないのに

 こんなことろ誰が来るんだろう。

 しかも相手はおじさんだし。

 大学病院に比べて混んでないし、

 学生相手に気楽なのかな。)

 

と思い、真に受けませんでした。

 

ずっと後になって気付いたのですが、

そうやってフランクに接しながら、

若者特有の心の問題にも気付けるよう

気を付けてくれてたんでしょうね。

学生が気軽に話してくれるように。

 

体調不良の原因が

悩みやストレスだってことも

よくあることですし。

 

素っ気なくしてて、すみませんでした。

 

 

 

そういえばゼミの教授にも

よく食事やマージャンに誘われてました。

私はマージャンはしないので、

先に帰ってたけど、

(マージャン教わっておけばよかった)

男子は億劫がってたな。

勝つまで付き合わされるから。

 

きっと親目線で気を遣ってくれてたんでしょうね。

この年になると、わかります。

 

 

インフルエンザといえば、

当時インフルエンザで寝込んでたら

下宿の大家さんがご飯作って持ってきてくれたり

友人たちが次々とお菓子とか持ってお見舞いに来てくれたり。

今みたいに、「うつるから・・」とかいう懸念は

全くなかったと思います。

実際、ほとんど誰もうつらなかったと思う。

私の周りだけ?

予防接種もなかったし。

流行性感冒という名前の割に、不思議です。