また君に会いたいとか

日々の備忘録

【勝手に解釈】:「ビー玉」(スピッツ)

 

「ビー玉」(作詞・作曲:草野正宗)は、

スピッツのデビューアルバム『スピッツ』(1991年)の

3曲目に収録されています。

 

 

☆精一杯生きる、

   生まれてきたからには

 

 

※あくまで私なりの解釈で、

 これを強要するとか、他の解釈を否定する意図はありません。

 【勝手に解釈】は、私の妄想のページと思ってください。

 

 

ビー玉に自分を重ねて、

死後のことを考えているのかな?と思います。

 

 

 

歌詞を少しずつ見ていきます。

 

おまえの最期を見てやる 柔らかい毛布にくるまって

ゆっくりうかんだら 涙の星になった

どうせパチンとひび割れて みんな夢のように消え去って

ずっと深い闇が広がっていくんだよ

「俺」はいつも、辛いことや悲しいことがあると、

すぐ自分の世界に逃げ込んで、

涙を流してばかりいるのでしょう。

そうするといつか

流した涙と共に涙の星になると思っている

でもビー玉、どうせそれは

すぐにヒビが入って壊れてしまう

その人の存在も何も消えてなくなる

最初から何もなかったように跡形もなくなる

 

 

タマシイころがせ

チィパ チィパ チィパチィパ

タマシイころがせ 虹がかかるころに

「魂」でなく「タマシイ」

カタカナ表記にすることで、

躍動感や生命力を感じます。

 

生物はカタカナ表記なのだと、

生物の授業で教わった記憶があります。

「ヒト」「イヌ」「ネコ」みたいに。

でもここは、草野さん流の「あえてキャッチーな表現」

さり気なくライトな感じにしているような気がします。

 

死んでしまったら「体」はなくなるけど

「タマシイ」は永遠に残る

それなら、生きてるうちに「ころがせ」

ビー玉の丸い「タマシイ」を「ころがせ」というのは、

「奮起しろ」「生きろ」ということでしょうか。

 

「虹がかかるころ」は、

虹=雨があがる=泣いたあと

という意味もあるのでは?

辛いときや悲しいときでも、

ひとしきり泣いて涙も枯れたら、

また前に向いて立ち上がってみよう

 

「チィパ チィパ チィパチィパ」は、

ビー玉がぶつかり合うときの「キュッ キュッ」という音かな?

 

 

俺は狂っていたのかな 空色のナイフを手に持って

真赤な血の海をとび越えて来たんだよ

不穏なワードが並ぶこの部分が一番気になりました。

 

この「ナイフ」は凶器ではなく

「自分」を守るための「心の武器」では?

生きにくい世界で生きるための

強がりや意地とか、

幼さや弱さ無器用さへの言い訳とか。

そんなもので必死でガードを固めてきたのでしょう。

 

自分をオープンにしづらい人、

つい自分にバリアを張ってしまう人、

そんな感じかな?

私もそんなところがあるのでわかります。

 

「真赤な血の海」は辛く悔しい思いをしながらも

何とかやってきたそれまでの人生。

自分なりの意志を持ちながらも、

受け入れられなかったり、

時に周りに合わせざるを得なかったり

してきたのかもしれません。

「とび越えて来た」というから

揉まれながら生きてきたというより、

逃げてきたのかもしれません。

 

ナイフは「空色」というところから、

攻撃性や殺傷性はないような気がします。

しかも、隠し持つのではなく「手に持って」いた。

弱くて無器用で意地っ張りな自分のままで

世間の荒波から逃げてきた

そんな自分は間違ってたのかな?

 

タマシイころがせ

チィパ チィパ チィパチィパ

タマシイころがせ オケラも鳴いていた

「オケラ」は昆虫の中でも

存在感があまりないイメージです。

『手のひらを太陽に』の歌でも

「ミミズだってオケラだって・・・」と

下に見ているような扱い

(作詞者にそのような意図があったのかは不明だけど)

 

そんなオケラだって、鳴くんだ

生殖のために、メスを呼ぶために

限られた命の中で、次に命を繋ぐべく

みんな自分の命を生きているよ

 

 

 

 

【歌の感想】

「オケラ」という地味な生き物を出してくるあたり

スピッツ感があって好きです。

しかもさらっと持ち上げている感じ。

 

いろんなことがあるのが人生

生きてるうちは、精一杯生きようよ!

死んだら何にもなくなるんだから

と言ってるように思います。

 

いいさ、辛くても、逃げても、間違ってても

いろんなことがあるのは生きてるからさ、

と前向きに思えるのは、

のんびりしたリズム・テンポ・ボーカルのせい?

イントロの「やーんやややーん、やややーんやややーん」に、

昭和歌謡の懐かしさを感じました。

 

 

 

話はそれますが、

小さい頃、ビー玉の中には別の世界があると思って

よく覗き込んでいました。

見る場所や角度によって違って見えて

まったく同じものはない神秘的なビー玉の中の世界。

どうやっても自分はそこに入ることはできない。

割ってしまえば

ビー玉の中に触れることができるかもしれないと

床に落としたり、踏んでみたりしましたが

これがなかなか割れないんですよね。