「ウサギのバイク」(作詞・作曲:草野正宗)は、
スピッツのアルバム『名前をつけてやる』(1991年)の
1曲目に収録されています。
☆君を連れてく、どこまでも
※あくまで私なりの解釈で、
これを強要するとか、他の解釈を否定する意図はありません。
【勝手に解釈】は、私の妄想のページと思ってください。
私の中で勝手に
【乗り物に乗って出かけるシリーズ】
とカテゴライズしている歌です。
といっても、実際に出かけているわけではなく、
自分が置かれている状況を
比喩的に表現しているのだと思います。
これまでの歌の中では、
「死神の岬へ」(アルバム「スピッツ」)での
「古くてタイヤもすりへった小さな車」。
「二人乗りで 折れそうな手でヨロヨロして」
(たぶん自転車。出かけてるわけではないけど)
などがあると思います。
ウサギのバイクは僕自身。
妄想の世界で「君」(あの娘)との逃避行を夢見ている。
二人はなにか難しい関係のようです。
あとさき考えずに、いや、何も考えたくない。
「ただただ君と一緒にいたい」という強い願望のもと、
喜びに溢れた楽しい逃避行を想像しています。
歌詞を少しずつ見ていきます。
ウサギのバイクで逃げ出そう
枯葉を舞い上げて
優しいあの娘も連れて行こう
氷の丘を越えて
ギターアルペジオの軽やかなイントロ。
1番の歌詞は、「ラ~ララ~」「トゥトゥトゥ~」だけ。
そう、スキャットが続きます。
そして2番から歌詞が始まります。
スキャットといえば、
はじめてスキャットというものを意識して聴いた歌です。
歌詞の意味など全く理解していませんでしたが、
子供心に、なんと魅惑的で甘美なんだろうと、
その夢見るような世界に酔いしれたものです。
その記憶、経験から、
この「ウサギのバイク」の歌は、
夢見心地でまどろんでいる状態での
僕の願望、妄想ではないかと思います。
「逃げ出そう」とあるように、
自分たちが置かれている状況からの逃避でしょうか。
二人の関係は世間からの風当たりが強いのでしょう。
「枯葉を舞い上げて」に、勢いのある意志を感じます。
無味乾燥に思われる世界から一刻も早く逃げ出したいのです。
どこに?
それは、誰にも邪魔されない二人だけの世界へ。
「優しいあの娘」といられる世界へ。
(↑ あの娘は、優しいんですね)
「氷の丘」は、自分たちを取り巻く世界。
理解を得られにくい冷たい世界だと感じているのでしょう。
何かに乗って出かける、或いは逃げ出すという歌は
前述のとおり
「死神の岬へ」や「夏の魔物」にも見られました。
ただ、それらで歌われた
小さいオンボロ車や
か細い体で君を乗せて必死でこぐ自転車(たぶん)は
強がってるけど不安や負い目を感じている状況。
今回は、僕をウサギに例え、ウサギをバイクに例えています。
ウサギは小動物だけに小回りがきいて、
ピョンピョン跳ねながら要領よく逃げられるイメージです。
ただ、如何せん、ウサギですから。
バイクといってもウサギですから(← 何度も言う)。
動物の中でも、チーターや象とかではなくウサギというのは、
自分が非力で弱いというような
何か劣等感のようなものを感じます。
ただ、大物の動物に比べて瞬発力や俊敏性があるあたり、
小動物ウサギとしてのプライドも感じます。
どんな困難な道や崖でも駆け登れるんだぞ、という。
いずれにしても、
車や自転車ではなく、自分の力で逃げ出そうという、
少し強気な意志を感じます。
たとえそれが妄想だとしても。
少し自信が出てきているのでしょうか。
「死神の岬」(アルバム「スピッツ」)で、
死神が遊んでいて
本来の「仕事」をしていない(空想の)「岬」で、
君との展望を掴んだからでしょうか。
そう考えると、
「ウサギのバイク」というのも
自分の状況かもしれませんね。
脈拍のおかしなリズム
喜びにあふれながら ほら
駆け抜けて 今にも壊れそうな
ウサギのバイク (*)
期待と不安でドキドキしています。
逃げ出すスリルや恐怖はあるけど
あの娘を連れて行くというワクワク感で
もはやそれは喜びでしかないのです。
「今にも壊れそう」なのは、
嬉しさだけから走り続けて
はしゃぎすぎたのでしょうか?
ただ、二人の行く末を暗示しているかのようでもあります。
でもそんなことはどうでもよくて
とにかく今は君と一緒にいたいという気持ちで一杯なのです。
(*)くりかえし
【歌の感想】
軽やかで流れるようなリズムとメロディーに
夢や期待が感じられます。
一抹の不安を感じながらも
楽しい逃避行を夢見ているのです。
自分たちの状況がどうだとか、
周りの目がどうだとか、
そんなことは忘れてしまいたい。
君と一緒にいられるなら、
他に何もいらない。
一緒の時間に全てを賭ける!
そんな刹那も感じられます。