また君に会いたいとか

日々の備忘録

【勝手に解釈】:「白い一日」(井上陽水)

lovetopaz.hatenablog.com

今日は朝から雪で外は真っ白でした。

風も強く、空も空気も白くどんよりしていました。

まさに「白い一日」。

 

 

「白い一日」(作詞:小椋佳、作曲:井上陽水)は、

井上陽水のアルバム『氷の世界』(1973年)に収録されています。

作詞をした小椋佳は、1974年にシングルをリリースしています。

「雪」とは関係ない歌です。

 

 

 

☆僕の、モラトリアムで憂鬱な日々

 

 

※あくまで私なりの解釈で、

 これを強要するとか、他の解釈を否定する意図はありません。

 【勝手に解釈】は、私の妄想のページと思ってください。

 

 

歌詞を少しずつ見ていきます。

 

 

真っ白な陶磁器を

ながめては飽きもせず

かと言って触れもせず

そんなふうに君のまわりで

僕の一日が過ぎてゆく

「真っ白な陶磁器」は、「君」のことでしょう

「飽きもせず」なので、好きなのでしょう

遠くから眺めているだけの存在(知り合いではない)というより

友人のような感じで近くにいる「君」

サークルやバイトの知り合いというイメージです

好きだけど特に何もアクションを起こしていない

でもいつも君のことを考えながら

日々を過ごしている

 

 

目の前の紙クズは

古くさい手紙だし

自分でもおかしいし

破り捨てて寝ころがれば

僕の一日が過ぎてゆく

「君」への思いを

心の中に綴ってきたのでしょう

「明日こそは気持ちを打ち明けるぞ」とか

「今度こそプロポーズするぞ」とか

でも自信がなくなったり迷いが出たりで

そのたびにむなしくなって、

もういいや、と投げやりになったり・・

 

 

ある日 踏切の向こうに君がいて

通り過ぎる汽車を待つ

遮断機が上がり ふり向いた君は

もう大人の顔をしてるだろう

このCメロと思われる部分で曲調が変わり、

汽車が通り過ぎるように、焦燥感が駆け抜けます

 

でもそうしてるうちに

「やっぱり君を」と思ったときには

君は他の人のものになってしまってるかもしれない

遮断機が下りてしまったら

もうどうすることもできないから

「結婚」とか、抗えない何かで遮断されてしまう

遮断機が上がってこちらを見た君は

もう手の届かない存在になっているかも・・・

時々、そんな焦りや不安に押しつぶされそうになるんでしょう

 

 

この腕をさしのべて その肩を抱きしめて

ありふれた幸せに

もちこめればいいのだけれど

今日も一日が過ぎてゆく

君に思いを伝えて、

君が受け入れてくれれば・・・

この日々が平穏で幸せなものになっていければ・・

でも、何もできないまま今日も過ぎていくだけ

 

 

 

 

【歌の感想】

「君」も少なからず好意を抱いてるんじゃないかな?

「僕」は何を迷ってるんだ?

早く決めないと!!という余計なお世話な外野の感想。

 

この歌を聴いていた当初から、例えば

ミュージシャンになるとか、俳優になるとか、

そんな「夢」を追いかけるもなかなか叶わない「僕」と

そんな「僕」が好きな「君」の歌だと思ってます。

 

将来の目途もたたないこんな自分に

思いを伝える資格なんてないんじゃないか?

「君」は逃げていってしまうんじゃないか?

焦りがある分諦めの気持ちも湧いてくる

その繰り返し。

 

でも、「君」はあなたを待ってるんだよ!

「僕」が手をさしのべてくれるのを待ってるんだよ!!

 

「君」は、親から縁談を勧められたりして

優柔不断な「僕」から泣く泣く離れていく・・

そうやって結局離れ離れになってしまうケースも多いでしょう。

「踏切り」「遮断機」が、心の機微を表現してて切ないです。

先日の記事

(ドラマ『silent』(フジテレビ)における「踏切り」の効用)

を書いてて思い出しました。

 

焦燥感やら決断できない自己嫌悪やらで憂鬱な日々

「君」(白い陶磁器)を思いながら

虚しく過ぎるだけの何もない一日(白い一日)

「僕」はこの後どうしたのでしょうか?

 

 

余談ですが、

大学時代の飲み会で料理が盛られた白い器を持って

「真っ白な陶磁器を~」とこの歌を口ずさんだ人がいましたが、

「えっ? それ?」と思った記憶があります。

私は、小ぶりな一輪挿しをイメージしていました。

聴く人によって、白い器のイメージが違うんですね。