また君に会いたいとか

日々の備忘録

【勝手に解釈】「日なたの窓に憧れて」(スピッツ)

 

 

こんにちは、トパーズです。

 

 

 

日なたの窓に憧れて(作詞・作曲:草野正宗は、

スピッツの3枚目のアルバム

『惑星(ほし)のかけら』(1992年)の

9曲目に収録されています。

 

 

☆追いかけて追いかけて、

  二人のメリーゴーランド

 

 

 

※あくまで私なりの解釈で、

 これを強要するとか、他の解釈を否定する意図はありません。

 【勝手に解釈】は、私の妄想のページと思ってください。

 

 

イメージ
としまえんのメリーゴーランドが好きだった。

 

 

歌詞を少しずつみていきます。

 

 

 

君が世界だと気づいた日から

胸の大地は回り始めた

 

「君が世界だ」って言われてみたい・・。

 

寝ても覚めても君のことばかり。

君のことしか目に入らないから、

僕の毎日、僕の人生は君を中心に回っている、

ということかな。

 

そして、そのことに「気づいた」

一目ぼれで一瞬で恋に落ちたというより

いつの間にか、

君のことが気になって気になって

どうしようもなくなってきたんでしょうね。

 

僕の胸が高鳴りはじめ

つまらないと思っていた毎日が

生気を帯びてきたという感じでしょうか。

 

恋心や高揚感、情熱が

きしんでいた僕の胸の歯車の

潤滑油になったみたいな。

 

 

切ない空に浮かべていたのさ

かげろうみたいな二人の姿を

 

でも君は僕の気持ちを知ってか知らずか。

気づいてはいるけど

さらりとかわしているような気がします。

 

いつか両想いになって、

二人で人生を歩んでいきたいと思ってても

なかなか難しいのだと思われます。

思い浮かべても、「かげろう」のように儚く、

イメージしにくいのでしょう。

なかなか手強いのかな?

 

 

すぐに

気絶しそうな想いから放たれて

 

君との幸せな未来を思い描くと

嬉しすぎて恍惚となるのだけど

すぐ「現実」が邪魔をして、

我に返ってしまう。

 

その繰り返し。

 

もうこんな苦しい思いは

せずにすみたい。

 

「君」との関係は

いろいろと難題が多いのでしょうか。

 

 

君に触れたい 君に触れたい 日なたの窓で

漂いながら 絡まりながら (*)

 

 

「君に触れたい」は、実際に触りたいということではなく

「君の本心を知りたい」

「僕を本当に好きになってほしい」

「もっと親しい間柄になりたい」という

初歩的な願望だと思います。

 

そして、題名にもなっている

「日なたの窓」

これは、文字通り「日の当たる窓」「暖かい窓」

というふうにも考えられますが、

「人前で堂々といられる」という意味でもあるかと思うのです。

何となく二人は

「日かげの窓」にしかいられないようで。

 

僕の片思いなのでしょうが、

君の方には、僕と堂々と付き合えない事情があるのでは?

君がどういうつもりでいるのか謎ですね。

 

僕にとって手の届かない(叶わない)君ならなおさら

その眩しいくらい魅力的な君のことを

「日なたの窓」と形容してるのかもしれませんね。

 

「漂いながら」「絡まりながら」

突き放したように見せて様子をみたり、

憎まれ口をたたいてみて様子をみたり、

でも、そんな駆け引きにも

君となら喜んで身を投じられる、

っていう僕の覚悟が感じられます。

 

 

 

それだけでいい 何もいらない

瞳の奥へ僕を沈めてくれ (*)

 

「君に触れたい」

それが叶うなら

「それだけでいい 何もいらない」とまで

思わせてしまう君。

 

私なら、即「はい、喜んで!」と言っちゃう。

でもきっと草野さんは、

そういう女性には魅力を感じないのでしょう。

 

「瞳の奥へ僕を沈めてくれ」

それは、

君の目に僕しか映らないようにしてくれ、

僕のことだけを見つめていてほしい、

ということですよね。

 

何とも切ない・・。

 

 

日なたの窓に憧れてたんだ

哀しい恋のうたに揺られて

落書きだらけの夢を見るのさ

風のノイズで削られていくよ

 

恋をしたら、

そりゃ「日なたの窓」に憧れますよね。

でも僕にとっては、それは叶わない「哀しい」恋なんです。

 

「落書き」は、君への切ない思い。

夢の中なので、

叶わない思いも、

無茶な願いも、

ありえない夢も

みんな見ることができる。

ここの歌詞、すごく好きです。

 

草野さんの歌詞には、

叶う望みのない

自分の切ない願望を

「紙くず」や「チラシの裏に書いた

「落書き」のような表現で

よく使っていると思います。

 

 

でたらめに描いた バラ色の想像図

   「夜を駆ける」(三日月ロック 2002年)

 

 

ペンは捨てなかった

怠惰な命 紙くずの部屋にいた

  「トンビ飛べなかった」(スピッツ 1991年)

 

lovetopaz.hatenablog.com

 

 

 

 

いつも

僕の欲しいのは 優しい嘘じゃなくて

 

ここのフレーズがすごくすごく切なく哀しいです。

 

「(私も)好きよ」と言われても

本当に好きなの?

本当に自分だけを?

 

自分を傷つけないように気を遣ってるって、

気づいてるんですよね。

 

本心から言ってくれてると思えなくて

本心を隠してる、

何を考えてるかわからない、

と思ってるから

「優しい嘘」だと思ってる。

というか、「優しい嘘」だと知っている。

 

そこまでの気持ちがないなら

下手にごまかすより

そうはっきり言ってほしい。

 

 

じゃあ、欲しいのは何?

それは「君の本当の気持ち」

できれば「本心からの愛」

 

でも期待薄いんでしょう。

それが何とももどかしい。

 

期待させられて惑わされて、

ここまで思わせられるって・・。

 

 

(*)くりかえし

 

 

メリーゴーランド メリーゴーランド 二人のメリーゴーランド

メリーゴーランド メリーゴーランド 二人のメリーゴーランド

ずっと このまま ずっと ずっと

 

ここのCメロは幻想的できれいなメロディーですが、

ちょっと哀しくて

 

「二人メリーゴーランド」なので、

君といるときは、

ずっとこのまま時が止まって、

いや、君とこのままどこまでも流れていく

みたいな「願望」というか「幻想」でしょうか。

 

二人が同じ馬車に乗っていたら、

二人でずっと一緒にいることができます。

ずっと、このまま、止まらないでほしい・・。

 

でも私は、僕と君と、

それぞれ馬に乗って回っているんじゃないかと思います。

メリーゴーランドなので、ずっと同じ速さで回るので

どちらかがずっと追いかけているか、

並走しててもずっと君に届かない寂しさがあります。

 

僕と君とは、それと同じで

交わることなくずっと平行線のまま。

 

そんな哀しい未来を暗示したような歌詞だなと思いました。

 

 

実際はこのCメロは、どっちなんでしょうか。

そういう意味でちょっと謎です。

 

 

(*)くりかえし

 

 

 

【歌の感想】

終始、歌のバックで「ピポパポ」が鳴り続けていて、

明るく楽しい雰囲気を醸しています。

「メリーゴーランド」という遊園地の乗り物も登場します。

でも、私はすご~く切ない歌だと思っています。

 

このアルバム「惑星のかけら」は、

1曲目の「惑星のかけら」をはじめ、

「ハニーハニー」や「僕の天使マリ」など

僕が君の本心をわかりかねて、

とても辛く苦しい思いをしている歌が多いです。

 

前作のアルバム「名前をつけてやる」でも

片思い(なのかどうかも不明な)の

ひたすら君に振り回されている歌も多かったです。

 

このアルバムでの、

「骨の髄まで愛してよ」

「僕に傷ついてよ」   (「惑星のかけら」)

「本当のことを教えてよ」(「ハニーハニー」)

「もうどこへも行かないで」(「僕の天使マリ」)

など、

若い男性がこれほどの思いをぶつける歌詞って、

今までなかったんじゃないでしょうか。

 

あったとしても、

「歌詞」として「きれいに」表現されてるでしょう。

 

スピッツの歌は難解でどの様にも解釈できると言われています。

私は私なりの解釈ですが、

これほど格好つけないで気取らないで、

(天邪鬼的にごまかしたりしてる面はありますが)

ストレートに表現することもあることに驚きました。

 

ここまでのスピッツの歌で、

一番切ない歌だと思っています。

草野さんの声も泣きそうですよね。

 

 

あと、ずっと鳴り続けてる「ピポパポ」は、

歌の始めと終わりでは音階が違ってるんですよね。