また君に会いたいとか

日々の備忘録

ミニアルバム『オーロラになれなかった人のために』(スピッツ)

 

 

こんにちは、トパーズです。

 

いつも読んでくださって、ありがとうございます。

 

 

 

【勝手に解釈】と称して持論を書いてきて、

やっとスピッツのアルバム通作4作目に突入します。

 

遅々として進みませんが、

スピッツの歌の解釈を「清書」していくことは

ブログを立ち上げた目的の一つであり

ライフワークの一つでもあるので

滞りながらも書いていきたいと思っています。

 

 

 

『オーロラになれなかった人のために』は、

1992年に発売されたスピッツのミニアルバムです。

 

 

収録されているのは、

「魔法」「田舎の生活」「ナイフ」「海ねこ」「涙」

の5曲です。

 

 

             イメージ画像

 

 

そもそも「オーロラになれなかった」とは?

 

 

オーロラは、極寒の夜空に現れる、

青や緑の妖しくも儚げな光のカーテン。

その名はローマ神話暁の女神アウロラ」に由来するとも。

 

 

このアルバムタイトルの由来は、

「死んだ人はオーロラになる」という

北極圏の先住民の言い伝えだそうです。

 

「オーロラになれなかった」とあるので、

死にきれなかった、生き残ってしまった、

というような意味?

 

私は生死に関するイメージより

希望や目的を果たせなかったというような

無念さや後悔のようなイメージを持ちました。

 

このアルバムを初めて聴いた頃は、

タイトルの由来も何も知らなかった、

ということもあるかもしれませんが。

 

 

そして、そんな夢破れたり望みが叶わなかった人へ

何か目的をもって提供されているのでしょうか?

 

 

私は当初、3作目のアルバム『惑星のかけら』のほうを

先に聴いていて、

この『オーロラになれなかった人のために』を

聴いたのは、後でした。

 

 

ずっと聴いてきてるうちに、何となく思ったこと。

それは、このアルバム以前の歌に関連している?ということ。

 

これは、夢破れたり望みが叶わなかった人への

慰めではなく、救済でもなく、

改善させるための薬でもなく、

対症療法のような気休めでもない。

 

それぞれの「傷」に対して、

「寄り添っている」

 

「~だよね」

「~だったよね」

「~でいいよね」

 

これまでの歌のアンサーソングならぬ、

フォローソング?なのでは?

 

そして、「オーロラになれなかった人」って

歌の主人公(僕)自身なのではないかと思うのです。

 

 

「オーロラになれなかった」自分の

それでも譲れない夢や願望、

叶えたかった夢や願望、

そう思いたい心の内・・・。

「オーロラになれなかった」自分を肯定し、

ありのままを受け止めようとしているのでは?と。

 

言わんとしていることをうまく表現できませんが・・・泣

 

 

そして、どれにも

一縷の望みを託しているように思えるのです。

「オーロラになれなかった自分」ヘの

精一杯の歌のような気がするのです。

 

 

次から、それぞれの歌の

私なりの勝手な解釈を書いていきたいと思います。