また君に会いたいとか

日々の備忘録

【勝手に解釈】:「テレビ」(スピッツ)

 

 

「テレビ」(作詞・作曲:草野正宗)は、

スピッツのデビューアルバム『スピッツ』(1991年)の

6曲目に収録されています。

 

 

☆僕はこうして生まれてきた!

 

 

※あくまで私なりの解釈で、

 これを強要するとか、他の解釈を否定する意図はありません。

 【勝手に解釈】は、私の妄想のページと思ってください。

 

 

「テレビ」は、母親のおなかの中から見た外の世界。

すなわち、生まれる前から見ていた世界。

 

 

歌詞を少しずつ見ていきます。

 

 

君のベロの上に寝そべって

世界で最後のテレビを見てた

わかりにくい歌詞で戸惑いました。

何度か聴いてるうちに

お母さんのおなかの中で

生まれるのを待ってる状況じゃないかと思いました。

おなかの中から外の世界を見ているのでしょう。

臨月で、もうまもなく見えなくなる(生まれる)のでしょう。

 

いつもの調子だ わかってるよ

パンは嫌いだった

お母さんの状態も自分の状態もいつも通り。

お母さんはパンは食べてなかったのでしょう。

そんなこともすべて、外の世界は予習済です。

 

さびたアンテナによじ登って

市松模様の小旗を振った

市松模様の小旗」はチェッカーフラッグでしょう。

旗を振って最終レース(周)を知らせるように

おなかの中の最終の「週」を知らせています。

もうテレビ(外の世界)は見られなくなったのでしょう。

「さびたアンテナ」によじのぼってますから。

 

不思議な名前も似合ってるね

失くさないで ずっと

「不思議な名前」はおなかの中の自分の名前?

「ベビー」とか「チビちゃん」とか

赤ちゃん呼びで呼ばれていたのでしょうか?

 

マントの怪人叫ぶ夜 耳ふさいでたら

春の風によじれた 君と僕と君と

「マントの怪人」がよくわかりません。

陣痛の痛みや収縮が

轟音のように聞こえたのかもしれません。

得体の知れない怪人が叫んでるような。

赤ちゃんが産道を下りてくるとき

耳をふさいでるように見えるのは

本当に音がうるさいのかもしれませんね。

お母さんは春の嵐のような陣痛で身をよじり、

僕は産道を下りるために身をよじった。

それを繰り返していた。

 

去年の秋に君が描いた 

油絵もどきを壁に飾った

カボチャとナスは仲良しか

それもいいや だって

『仲よき事は美しき哉(かな)』という

武者小路実篤の水彩画に

カボチャやナスがあったような。

その絵をまねておかあさんが描いたのでしょうか。

それが下手な油絵に見えたのでしょう。

それとも、飾ったのは武者小路実篤の色紙で

その独特のタッチが油絵もどきに見えたから、

てっきりおかあさんが描いたものと思ったのでしょうか?

(↑さすがにそれはないか)

「それもいいや」と愛でているのは

平和でほのぼのとした感じがします。

生まれる前から絵画に触れていて

既にセンスが育まれていたのかもしれません。

 

小舟に乗って 暗闇の外へ

忍者のように そっと近づいて

陣痛のたびに産道を下りるさまは

まるで小舟に乗ってるよう

明るい外の世界に向かって

少しずつ少しずつ

まさに今生まれようとしている様子だとしたら、

本当にこんな感じなのかな?

草野さんの想像力はすごい。

 

ブリキのバケツに水をくんで 

おなかの大きなママは思った

まぶたを開けてもいいのかな

かまわないさ どうだ

外の世界では洗面器の用意などしている。

ママは目をつぶって陣痛に耐えていたけど

ふっと痛みが遠のいた。

もう生まれたのかな?と恐る恐る目を開いた。

そう、もう出てきたよ、ジャーン!

 

 

 

 

【歌の感想】

出産の状況ではないかとか

無理やりな感じもするんですが、すみません。

もしそうだとすると、アルバム曲とはいえ

デビューアルバムでこの歌は驚きですね。

まさにイントロダクションですね。

 

アップテンポの楽しそうでワクワクするような曲です。

それに合わせ草野さんの少年のような声と歌い方が

生まれたばかりの純粋で無垢な赤ちゃんの

未来へのあふれる期待感を思わせます。

 

生まれる時の描写はちょっと恐ろしい感じもしますが、

独特の視点で描かれた情景はとても平和だと思います。