また君に会いたいとか

日々の備忘録

【勝手に解釈】:「田舎の生活」(スピッツ)

 

 

こんにちは、トパーズです。

 

 

「田舎の生活」(作詞・作曲:草野正宗は、

スピッツのミニアルバム

『オーロラになれなかった人のために』(1992年)の

2曲目に収録されています。

 

 

 

☆夢と現実の狭間で

 

 

 

「田舎の生活」は、君との幸せな未来。

 

君との未来がなくなれば全ては「ネガの街」。

 

そう、

思い描いていた未来(田舎の生活)は

実現することのない虚像(ネガの街)。

 

君のいないこの日々も、

願っていたものとは違う未来(ネガの街)。

 

夢見た未来とさよならしなきゃ。

 

 

 

 

※あくまで私なりの解釈で、

 これを強要するとか、他の解釈を否定する意図はありません。

 【勝手に解釈】は、私の妄想のページと思ってください。

 

 

 

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歌詞を少しずつ見ていきます。

 

 

なめらかに澄んだ沢の水を ためらうこともなく流し込み

懐かしく香る午後の風を ぬれた首すじに受けて笑う

 

野うさぎの走り抜ける様も 笹百合光る花の姿も

夜空にまたたく星の群れも あたり前に僕の目の中に

 

必ず届くと信じていた幻

言葉にまみれたネガの街は続く

さよなら さよなら 

窓の外の君に さよなら言わなきゃ

 

春から夏の眩しい陽光と澄んだ空気に包まれた

田舎での幸せな暮らしが

淡々と語られていきます。

 

「なめらかに」「澄んだ」「ためらうこともなく」

「懐かしく香る」「笑う」「走り抜ける」「光る」

前向きで美しい言葉がたくさん。

曇りなく澄んで、滞りなく流れていく、

これ以上ない幸せを感じさせる歌詞です。

 

僕がずっと夢に描いてきたものでしょう。

或いは、君と語り合ってきたのかもしれません。

 

何にも邪魔されない、何の心配も困難もない

君との安らかで幸せな生活

「田舎の生活」と形容したのかもしれません。

 

いつか実現するといいね。

いや、きっとそうなるよ。

 

信じて疑わなかった幸せな日々は

何かのきっかけで、

「幻」となってしまったんですね。

 

「ネガの街」という表現が印象的に使われています。

 

ネガは写真を現像した後のネガフィルムのこと。

ネガの像は反転しているから

実際の(本当の)景色とは違う「虚像」なのでしょう。

 

色彩豊かに描かれる「田舎の生活」とは真逆の

反転してモノクロのような描かれ方ですね。

味気ない様が伝わってきます。

「ネガティブ」(悲観的)という意味もあると思います。

 

君のいない未来は、「ネガの街」

それは、「偽物の明日」

このアルバムに収録されている「魔法」

魔法がなければ、

「偽物の明日」を享受せざるを得ない悲痛な気持ちを歌っています。

 

lovetopaz.hatenablog.com

 

 

そして「ネガの街」は、

今となっては言い訳や後悔に溢れているのです。

僕が無味乾燥な日々を過ごす

雑踏と喧騒に溢れた「都会」のことかもしれません。

 

君に言えてない「さよなら」

「さよなら言わなきゃ」と言いながら

さよならを受け入れられないのかもしれません。

 

君のいない現実にも

虚像となってしまった未来にも

「さよなら」して

「今」を受け入れていかなきゃ。

 

 

「窓の外」は、電車の窓か車の窓か、部屋の窓か?

君とは何らかの「窓」によって隔てられ、

意思の疎通も難しいのでしょうか。

 

君を駅のホームに残し、

去っていく情景かもしれません。

 

 

それとも「窓の外の君」は、ネガの中にいる君?

 

 

夜、満員電車に揺られて外を見ると

流れていく建物の影が

ネガの中の

反転した像のように見えたりしますよね。

 

縁取る窓がネガの一コマだとしたら

今はいない君が

もう手の届かない夢と一緒に

その向こうに行ってしまったような気にもなります。

 

君は思い描いた幸せな未来とともに

ネガの中に封印されてしまったのでしょうか?

 

 

 

一番鶏の歌で目覚めて 彼方の山を見てあくびして

頂きの白に思いはせる すべり落ちていく心のしずく

 

根野菜の泥を洗う君と 縁側に遊ぶ僕らの子供と

うつらうつら柔らかな日差し 終わることのない輪廻の上

 

あの日のたわごと 銀の箱につめて

さよなら さよなら ネガの街は続く

さよなら さよなら いつの日にか君とまた会えたらいいな

 

2番のAメロでは、

秋冬の生活が語られていると思います。

 

僕らには子供もいて、満ち足りた毎日を送っている。

それは生まれる前から当たりまえに決まっていて

僕たちのその幸せは当然のごとく未来永劫続いていく。

 

そう信じていた。

 

夢も希望も、交わした言葉の数々も

今となっては戯言にすぎない。

 

君と語り合った数々のビジョンは

意味を持たない言葉の羅列になってしまった。

 

 

真鍮の箱ではなく、

木の箱でもなく、

「銀の箱」

「つめて」という表現に、

溢れるほどの思いであることが想像できます。

 

二人の大切な思い出がこぼれないよう、

箱が、思い出が、朽ちてしまわないよう。

ジュラルミンのような頑丈な箱でしょうか?

 

私は何となく、いつもポケットに入れておけるような

小さいピルケースのような銀の箱を想像しました。

そこにありったけの思い出を詰めて。

 

それは決して忘れることはないものだけど

堅く封印されているような気がします。

 

 

そして、僕が生きる君のいない毎日は

ずっと反転したままの、

ネガの街なのです。

無味乾燥で淡々と続く日々を送っているのです。

 

君とまた会えたらいいと思っている。

でも、その日は来るのでしょうか?

 

また会えることに対しての情熱が

あまり感じられないので

もしかしたら、

もう会えることはないと思っているのかもしれません。

 

君はもしかしたら、

もうこの世にいないのかもしれません。

 

 

 

【歌の感想】

 

Aメロの田舎の生活の描写がとてもきれいです。

日本の原風景を見ているようで

私のように昭和の田舎を懐かしんでる身からは

その光景を鮮明に思い浮かべることができます。

まるで桃源郷のような世界です。

 

景色の美しさだけでなく、

満ち足りた心の様も。

 

 

都会の便利さや賑やかな楽しみはないけど

ただ豊かな自然がありのままにあって

シンプルで簡素で素朴で

自分たちがありのままに生きていける生活。

 

見方を変えれば

愛する君や子供たちがいれば

他に何も望むものはなく

ヒトとしての本来の生を生きていければ

もうそれで十分、という

心の底からの願いが語られているようにも思うのですが。

 

 

のどかなアルペジオのイントロに続くAメロは

変拍子、4分の5拍子です。

この4分の5拍子という変拍子

ちょっとリズムがとり難いうえに

朗読に少し抑揚をつけたような、

不思議な浮遊感があります。

 

サビで普通の4拍子に変わります。

変わった途端、

「あれ? 夢だった?」と我に返ってしまいそうです。

 

そう、Aメロは「思い描いてた未来」なのだけど

「叶わなかった夢」でもあるのです。

草野さんが、うつらうつら?呆然と?歌っているようです。

 

サビで現実の世界に戻るのです。

 

 

夢見ていた世界(田舎の生活)と

今いる現実(ネガの街)が交互に登場します。

 

回想したり現実に返ったり。

そして、

「さよなら」を自分に言い聞かせているようです。

 

もう君はいない

夢見ていた未来はもう来ない

その「現実」を受け入れなきゃ。

 

いつまでたっても先に進めない僕に

少しずつ背中を押している感じです。

少しずつ、無理をせず、後戻りしてもいいから

少しずつ前を向くように。

 

 

 

最後まで読んでくださって、ありがとうございます。