また君に会いたいとか

日々の備忘録

【勝手に解釈】「空も飛べるはず」(スピッツ)

 

 

空も飛べるはず(作詞・作曲:草野正宗は、

スピッツの5枚目のアルバム

『空の飛び方』(1994年)の

3曲目に収録されています。

 

 

☆天にものぼる無敵な境地

   

 

 

※あくまで私なりの解釈で、

 これを強要するとか、他の解釈を否定する意図はありません。

 【勝手に解釈】は、私の妄想のページと思ってください。

 

 

 

イメージ画像



 

青文字は、

空も飛べるはず(作詞・作曲:草野正宗)より抜粋

 

 

幼い微熱を下げられないまま 神様の影を恐れて

 

「幼い微熱」は、

未熟で無器用で尖った僕が

ずっと抱き続けてきた夢や希望。

 

それは、

人に話すと笑われそうな

自分には不相応に思えるような

でも

どうしても諦めたくない願望。

 

 

今までも、「魔物」や「魔法」という

言葉が使われていたように

「神様」は、

親や目上の人というのではなく

もっと、どうしても太刀打ちできないような

畏怖の念を持ってしまう強力なパワー。

 

私が想像できる平べったい言葉としては

「お天道様」でしょうか。

 

 

隠したナイフが似合わない僕を おどけた歌でなぐさめた

 

「ナイフ」は、

武器のように見せかけた

鎧のようなもの。

 

自分の弱さや真の姿を見られたくないための

自己防衛の手段として

この言葉を使ってるような気がします。

 

自分の周りに張ったバリアーに気づかれないように

平気な態度や

尖ってないフリをしがちだったんでしょうね。

 

「おどけた歌」は、

平気な態度や言動、なのかな。

 

 

色褪せながら ひび割れながら 輝くすべを求めて

 

ずっと夢見ながらも消えていったことや

傷ついたこと

そんなことを繰り返しながらも

いつか自分が自分でいられる世界を

追い求め続けてきたのです。

 

 

君と出会った奇跡が この胸にあふれてる

きっと今は自由に空も飛べるはず(※)

 

そんな中、

君と出会ったことは

奇跡と思えるものだったのでしょう。

 

もちろん君の魅力や感動で

胸がいっぱいで

天にも舞い上がりそうな気分なのです。

 

 

夢を濡らした涙が 海原へ流れたら

ずっとそばで笑っていてほしい(*)

 

たくさん流してきた涙が流れきったら

そばでいてくれるだけでいい。

笑っててくれるだけでいい。

 

 

切り札にしてた見えすいた嘘は 満月の夜にやぶいた

 

「嘘」は上の

「隠したナイフ」ではないでしょうか。

 

張りつめていたバリアーも

君には見透かされていたのでしょうね。

 

「月」=「君」で、

しかも「満月」は、

何か神聖で特別な意味を感じます。

 

君の前では素の自分でいられると思ったのでしょう。

 

 

はかなく揺れる 髪のにおいで 深い眠りから覚めて

 

「はかなく揺れる髪のにおい」で、

君は「女性」なのでは、と思いました。

 

優しい君の存在で、

僕は今までの殻を脱ぐことができたんです。

 

 

君と出会った奇跡が この胸にあふれてる

きっと今は自由に空も飛べるはず

ゴミできらめく世界が 僕たちを拒んでも

ずっとそばで笑っていてほしい

 

僕たちの純粋な思いは

この、上辺を取り繕った偽物の世界では

受け入れられないかもしれない。

 

この部分は、

僕たちの関係が

世間一般には受け入れられないのかな、とも

感じさせます。

 

(※)(*)くりかえし

 

 

【歌の感想】

 

スピッツといえば」という歌のひとつで、

穏やかなリズムやメロディー、

若く多感な時期を代弁するような歌詞で、

素直で爽やかなイメージの歌だと思います。

 

他にもっと「ひねくれた」「歪んだ」歌も多いのに

スピッツのイメージの外側を形作っているのは

ファンからすると

うれしいような、物足りないような・・・。

 

「奇跡」だと思えるような出会い、

空も飛べるはず」と思わせるような気持ち、

憧れます。

 

「ずっとそばで笑っていてほしい」

これが僕の願いなんですね。

「海ねこ」

(『オーロラになれなかった人のために』)でも

「僕のとなりで歌っていて」

「僕と二人で笑っていて」と歌っています。

 

それだけで幸せって、いいですね。

 

lovetopaz.hatenablog.com

 

 

 

 

 

【勝手に解釈】「スパイダー」(スピッツ)

 

 

「スパイダー」(作詞・作曲:草野正宗は、

スピッツの5枚目のアルバム

『空の飛び方』(1994年)の

2曲目に収録されています。

 

 

☆「クモ」の僕の壮大な妄想!

   

 

 

 

 

※あくまで私なりの解釈で、

 これを強要するとか、他の解釈を否定する意図はありません。

 【勝手に解釈】は、私の妄想のページと思ってください。

 

 

イメージ画像
「こがね色の坂道」ってどんなんだろう?

 

 

大好きな君を窮屈な世界から連れ出して

二人きりの世界で生きていきたい!

 

と、天邪鬼で無器用な僕が

ひたすら願い

成功を夢見て

今日も自分の殻の中で画策している

 

もしだめだったら

笑って許してよ

 

 

 

青文字は、

「スパイダー」(作詞・作曲:草野正宗)より抜粋

 

 

 

可愛い君が好きなもの ちょっと老いぼれてるピアノ

 

「ちょっと老いぼれてるピアノ」

という表現から、

君は、

居心地が良くて安心できる慣れた環境が好きな、

敷かれたレールを歩く冒険できない保守的なタイプ

 

か、はたまた

 

君はすでに人妻で

平和な生活を送っているのかもしれません。

平和なだけに退屈で窮屈な世界かもしれません。

 

 

さびしい僕は地下室の すみっこでうずくまるスパイダー

 

ここでは僕について語っていますが

まあ、なんとネガティブというか

ほとんど自虐的なワードで占められています。

 

「さびしい」「地下室」「すみっこ」「うずくまる」

極めつけは

「スパイダー」

 

歌の題名からし「スパイダー」ですけど。

 

「クモ」は、たいてい嫌がられる存在です。

自分をそんなクモに例えるなんて・・。

まあ、虫や小動物はよくスピッツの歌に登場しますが。

 

僕は、

人づきあいが上手ではなく

自分の殻に閉じこもりがちな

ナイーブなタイプなのではないでしょうか。

 

 

洗いたてのブラウスが今 筋書き通りに汚されていく

 

ちょっと過激な表現に思えますが

これは、実行されていることではなく、

僕が思い描いていること、

つまり、僕の妄想、願望ではないかと思います。

 

どんな妄想か。

それは、

保守的で冒険できそうにない君

あるいは、

窮屈な世界にいる君を

僕が連れ去って

二人で幸せに生きる、という妄想。

 

その妄想の序章。

 

2番の歌詞に出てくる

「かわいい君をつかまえた」

そういう筋書きが始まろうとしているのです。

 

「汚されていく」という言葉で

「良くない妄想」なのかな、と感じます。

このキャッチーなワードで、

聴く人の妄想も大いに広がっていくのでしょう。

 

 

だからもっと遠くまで君を奪って逃げる

ラララ 千の夜を飛び越えて走り続ける(*)

 

このサビも、僕の妄想というか願望。

 

僕と君と二人でどこまでも、

未来永劫、君と生きたい。

 

「奪って逃げる」という表現に

「イケナイ感」があります。

 

そして、「千の夜」

数えきれないくらいの夜を過ごし

一緒に走り続けたいという覚悟も。

 

でも君の気持ちはどうなんでしょう。

 

 

可愛い君をつかまえた とっておきの嘘ふりまいて

 

クモだから「つかまえた」んでしょうね。

実際は僕のほうが「つかまえられた」

「ノックアウトされた」

というところでしょうか。

 

ふりまいた「とっておきの嘘」は、

クモ(僕)が張る網で、

君が振り向いてくれるように絞り出した

妄想の網です。

 

本当は怖くて勇気もなく、

君に振り向いてもらうことで精一杯な

気弱な僕だと思います。

 

 

さびしい僕に火をつけてしらんぷり ハート型のライター

 

君を「ハート型のライター」と形容しているところが、

「スパイダー」である僕との対比になっていて

可愛いと思います。

「君が火をつけた」という表現にしているのも

おもしろいと思います。

 

心に火をつけられた僕は

君を連れ出すことを考え始めます。

 

好きになった相手と一緒にいたいという

素直な気持ちなのでしょうが。

 

「しらんぷり」とは?

君はまだ僕の気持ちに気づいてないのでしょうか。

 

 

こがね色の坂道で加速したら二度と戻れないから

 

「こがね色」は黄金色。

ここまでのスピッツの歌で初めて出てきた色です。

 

黄金というくらいだから

明るい未来に向かっていくような

幸せなイメージですが、

 

とても眩しくて(こがね色だけに)

上るのが大変で

根気のいる坂道のようです。

 

行動を起こしたら二度と引き返せないのでしょう。

 

 

だからもっと遠くまで君を奪って逃げる

ラララ 千の夜を飛び越えて走り続ける

(*)くりかえし×3

だからもっと遠くまで君を奪って逃げる

力尽きたときは そのときで笑いとばしてよ

 

期待に胸が膨らみますが、

ちょっと気弱な部分、

計画性に乏しいと思える部分もあるようですね。

 

だめだったらだめだったとき。

 

そのときは、

しようがないと許してね、

ということでしょうか。

 

思い切り笑ってやってよ、って。

 

やっぱり妄想、

最後の詰めはまだ甘いようです。

 

この先、

二人の未来がどうなるのか

楽しみです。

 

 

(*)くりかえし

 

 

【歌の感想】

 

このアルバムが出た頃は

この「スパイダー」が

よく街中でも流れていたような気がします。

 

サビがとても印象的で

中毒性のあるフレーズだと思います。

 

歌全体のテンポやリズムが

ポンポンポンポン・・・とポップで、

画策している緊張感と

期待への高揚感を表してるようで

歌詞に感じる「イケナイ感」とともに

不思議な魅力のある歌だと思いました。

 

「汚されていく」「奪って逃げる」という

危なそうなワードが歌詞に盛り込まれていて、

「これがスピッツなんだな」と実感しました。

 

スピッツを聴き始めて2枚目のアルバムで、

初めて聴いた『Chrispy!』より

歌のイメージが強いと感じました。

 

特にこの歌は、

スピッツ」のイメージが固まってきた

きっかけの歌でもあったと思います。

 

とりわけ、

「地下室のすみっこでうずくまる、

 さびしいスパイダーの僕」

というところ。

 

あと、この歌の歌詞の願望は

「波のり」惑星のかけら』)

に似ていると思いましたが

どうでしょうか。

 

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【スピッツの世界】ゴミに見えても捨てられずに 「これはフクロウ?」

 

 

 

 

 

正面(高さ1.5㎝くらい)

 

 

練馬に住んでいた頃、

娘が光が丘公園で拾ってきたものです。

 

幼稚園児の頃で、

ポケットに石ころと一緒に入っていました。

 

最初はただの石だと思いました。

 

よく見ると「ダルマ」のように見えますが

夫や娘は「フクロウ」だと言っていたので

たぶん「フクロウ」だろうと思います。

 

 

目は黒い棒?のようなもので、

傾けると飛び出すけど、決して抜けず、

側面や後ろ姿などに、羽根のような切り込みがあり

あきらかに人の手で作られたもののようです。

 

 

横から見たところ

 

 

後ろ姿

 

 

上から見たところ

 

 

人の手で作られたものだと思うと捨てられず

他の「フクロウ」たちと一緒に

ずっと飾っています。

 

 

 

 

 

「フクロウ」は、

「福を呼ぶ」「知恵を授ける」と聞きます。

 

皆無事に過ごせていることに感謝です。

 

 

 

ゴミに見えても 捨てられずに

あふれる涙をふきながら

 

悲しい日には 嘘つき歌ひとつ

遠く 歩き出そうか

朱くかすむ 夕陽を待とうか

    「アカネ」(『ハヤブサ』 2000年)

 

 

 

【勝手に解釈】「ラズベリー」(スピッツ)

 

 

こんにちは、トパーズです。

 

 

 

ラズベリー(作詞・作曲:草野正宗は、

スピッツの5枚目のアルバム

『空の飛び方』(1994年)の

7曲目に収録されています。

 

 

☆なかなか手強い

  そんな相手にこそ燃えるのだ!

 

 

※あくまで私なりの解釈で、

 これを強要するとか、他の解釈を否定する意図はありません。

 【勝手に解釈】は、私の妄想のページと思ってください。

 

 

魅力的な「君」に首ったけの「僕」

「僕」の思いを、するりとうまくかわす「君」

恋人関係でもなく

「君」の本心もわからないまま

ひたすら追いかける「僕」

甘い果実に手は届くのか?

 

 

Wikipediaより

 

 

青文字は、

ラズベリー(作詞・作曲:草野正宗)より抜粋

 

 

泥まみれの 汗まみれの 短いスカートが

未開の地平まで僕を戻す?

「泥まみれ」「汗まみれ」という表現には

「君」は「僕」より世慣れしている、

人生経験が豊富なイメージがあるのですが。

 

もしかしたら、年上とか、

恋人がいるとか人妻とか。

 

でも「短いスカート」という表現に

挑発的ではあるけど

幼さの残るチャーミングな女性で

男を翻弄するタイプな感じがします。

 

「未開の地平」は、二人で歩む未来とかでは。

そこに「僕を戻す?」と尋ねています。

「僕」と一緒に人生を歩んでくれるの?

どうやら「君」も

「僕」のことが好きなのかも、と思っています。

 

「?」で終わる言葉は

「僕」の疑念というか、

「君」への問いかけ・確認だと思います。

 

 

あきらめてた歓びがもう目の前 急いでよ

駆けだしたピンクは魔女の印?

自分には無理だと思っていた「君」が

「僕」に笑顔をふりまいてくれるんです。

夢じゃないかと思いながら、

「僕」は「君」の後を追います。

 

「ピンク」は憧れの対象(「君」)。

でも、ここでもふっと疑念が湧きます。

「魔女の印?」

「僕」は今までの経験から、

自分には太刀打ちできないかも、

結局振り回されるだけかも、と不安になります。

 

 

水のようにまわり続けて 光に導かれていくよ

それでも、先を行く「君」(光)を目指して

「君」に首ったけな「僕」は

「君」を追いかけ続けます。

 

「水のようにまわり続けて」は、

無意識に

「君」に翻弄され続けてるのだと思います。

 

 

チュチュ 君の愛を僕は追いかけるんだ

どんなに傷ついてもいいから

もっと切り刻んで もっと弄んで

この世の果ての花火(*)

「君」の愛を得るためには、

どんなことでもする。

「切り刻んで」「弄んで」は、

「僕」にかまってほしい、

ちょっかいを出してほしい、

という「僕」の願望で

「僕」にもっと興味を持ってほしい、

「僕」をもっと特別な存在にしてほしい、

ということじゃないでしょうか。

 

その願望が叶えば、

この世の果ての花火を見るように

もう何もいらない、Max幸せ!という感じ。

 

 

 

おかしいよと言われてもいい ただ君のヌードを

ちゃんと見るまでは僕は死ねない

ここは人前で歌うのが難しい部分。

 

でもこれは、

「君」の本心・本当の姿を

知りたいということではないでしょうか。

「君の全てを知りたいんだ」ということで

「君のヌード」と過激な言葉をあえて使ったのでは。

 

 

「君」は人妻かもしれないのに

「僕」に気があるようなそぶりをする。

(それって道徳的にどうかと思いますがね。

 ぎりぎりセーフなんでしょうか?)

 

「僕」としては、

「君」がどういうつもりなのか、

本当に配偶者或いは恋人がいるのか、

その人とちゃんと縁を切るのか、

単なる遊びなのか、

そして一番気になるのは

「僕」のことを本気で好きなのかどうか。

そこをちゃんと教えてほしい。

 

でないと「死ねない」というのは

大げさかもしれないけど

「人としては」道徳的にもまっとうだと思うのです。

 

「おかしいよ」と「君」が言うのは

「君」からすると

「私たち、友達でしょう?」というスタンスなのかも。

 

肝心なところでうまくはぐらかされてる感じ。

 

 

 

しょいこんでる間違いなら うすうす気づいてる

でこぼこのゲームが今始まる

この2行で、どうやら「君」とは上記のような

難しい関係のようだとわかります。

 

「でこぼこのゲーム」は、

モトクロスのように山あり谷ありの、

世間的には二人のこれからが平坦ではないような、

また、

「僕」を挑発してるようだけど、

「僕」が追えば「君」は逃げるというような

一筋縄ではいかないような難しい関係も暗示させます。

 

でも「僕」はそんなことは百も承知なんでしょう。

 

 

 

穴を抜けてこっちへおいでと

五円玉のむこうから呼ぶよ

子供の頃、公園のトンネルの先で

「ここまでおいで~」と呼ばれて

急いでトンネルをくぐっていくと

その子は今度はジャングルジムのてっぺんにいて

「こっちだよ~」と呼ぶ。

 

その子のことが好きで、

自分をそうやってからかってくれると

何とかその子とずっと一緒に遊びたいと

頑張って追いかけたりしますよね。

(しないか、そんなこと)

 

この歌の「君」もそうやって、

「僕」を呼んでるようなんですが、

「五円玉」ではとてもじゃないけど

くぐれません。

実際に五円玉で誘ってるわけではないと思いますが。

 

この「君」は、

「僕」が絶対に追いついて来られないことを承知で

わざと困らせてるような気がします。

 

百歩譲って、

「僕」にそこまでの強い気持ちがあるのか

試しているとも考えられますが・・・。

 

 

「月」に帰らないといけないから

誰とも結婚するわけにはいかず、

求婚してくる男性に無理難題を出していた

かぐや姫」のようではないですか!

 

現代の「かぐや姫」か?

 

はっ!

黄色い月が呼ぶ 君が生まれたところさ

       「月に帰る」(スピッツ

って、ありましたね・・・。

 

二人は現世では決して結ばれることはない

ほどけた裸の糸でめぐり逢えた

        「月に帰る」(スピッツ

関係だったのでしょうか、本当に。

 

lovetopaz.hatenablog.com

 

 

そう考えると、

「君」の本心はどうなんでしょうか?

 

 

チュチュ 君の前で僕はこぼれそうさ

ずっとワクの外へ すぐにも?

それでも「君」のことが大好きな「僕」は、

世間の常識や風当たりなどどうでもいい、

「君」とならどこへでも、という覚悟をもっています。

でも、

肝心の「君」の本心(ヌード)が見えないので

多少躊躇があります。

 

でも、「僕」を誘うようなそぶりの「君」は

待ってくれそうにないのです。

だから「すぐにも?」

「君」の言動に戸惑っています。

 

 

もっと覗き込んで もっと潜りこんで

ねじれた味のラズベリー(**)

「覗き込んで」「潜りこんで」は、

両方とも「僕」の願望です。

「君」の気持ちが今ひとつ掴めないので

「君」の心の中を探りたいのです。

疑ってるわけじゃないけど、戸惑ってる。

何を考えてるのか知りたい。

だから、ラズベリー「ねじれた」味。

 

 

この後、二人はどうなったのでしょうか?

 

 

ちなみに、

ラズベリーは甘酸っぱいイメージですが

生ではちょっと食べにくく、

ジャムやコンポートにしたほうが

おいしく食べられる果実だと思います。

見かけによらず、なかなか手強いってこと?

 

(*)

(**)くりかえし

 

 

【歌の感想】

 

初めて聴いたアルバム『Chrispy!』のあと、

次のアルバム『空の飛び方』が出たら、

つい借りちゃいました(すみません)。

 

この『空の飛び方』のジャケット、

なぜか不思議と好きなんです。

 

 

ラズベリー」を最初にとりあげたのは、

アルバムを聴いて、

この歌が一番好きだと思ったからです。

 

 

世間(スピッツファンの間)では、

スピッツの歌で上位に上がるほどの

「エッチソング」(敬意を表して)のようです。

 

その線で聴いていくと、

確かにそういう歌だなと思います。

 

ところが、これが出て最初に聴いたときから

私はずっと上記のような解釈で聴いてきました。

 

好きになってはいけない人を好きになり

ひたすら追いかけ振り回され続け、

相手の真意をずっと求め続けている主人公が

かわいそうでもあり、滑稽でもあり。

 

今までのアルバムでも

そういう歌が多かったですよね。

 

でも若い時期って、

こういう向こう見ずな恋に陥ることってあるなぁと

ちょっと同情したりもしました。

 

あと、サビの「チュチュ」

男性バンドじゃなかなか歌わないよね、

というフレーズも

ポップなメロディと合っていて

いやらしくなくサラリと歌っている。

 

ファーストアルバム『スピッツ

「海とピンク」でも、「チューチュー」を連発してる。

もはや鼻歌レベルのように。

「海とピンク」も結構好きな歌なんですよね。

 

「海とピンク」も「ラズベリー」も、

全然いやらしく聴こえないところが

草野さんの魅力であり

スピッツというバンドのすごいところですね。

 

そう考えると

「名前をつけてやる」の「アア~ン、アアアア~ン」や

「プール」のCメロ「あ~、あ~あ~」も、

独特の色気があるけど

いやらしく聴こえないのはすごいところ。

 

(知らない人からすると、

 「チューチュー」やら「アア~ン、アアアア~ン」やら

 「あ~、あ~あ~」なんて、

 どんな歌なんだろうと思いますよね。

 きっとスピッツ好きの人が読んでくれていると

 勝手に思って書いてます。ご勘弁ください。)

 

 

余談ですが、「チューチュー」といえば

「きりきり舞い」(山本リンダ 1973年)

とってもキュートで可愛くて、大好きです。

ついつい男を振り回してしまう女の子の歌です。

 

【勝手に解釈】「多摩川」(スピッツ)

 

 

 

こんにちは、トパーズです。

 

 

 

多摩川(作詞・作曲:草野正宗は、

スピッツの4枚目のアルバム

『Chrispy!』(1993年)の

9曲目に収録されています。

 

 

☆川向こうの街の君に

 

 

 

※あくまで私なりの解釈で、

 これを強要するとか、他の解釈を否定する意図はありません。

 【勝手に解釈】は、私の妄想のページと思ってください。

 

 

 

青文字は、

多摩川(作詞・作曲:草野正宗)より抜粋

 

 

蒼白き多摩川に 思い浮かべて

すべるように穏やかに 今日が暮れてゆく

「すべるように穏やかに」という表現で、

僕は、平穏な日々を

淡々と過ごしているんじゃないかと

想像します。

何となく、

悲しい歌ではないような気がするのですが。

 

それに、日が暮れていこうとしているのに

川は「蒼白き」と表現しているのです。

 

それとも、かつて「知っていた」多摩川

「蒼白」かったのでしょうか。

 

後々にスピッツの歌を聴いていくうち

蒼(青)は、純粋で無垢な意味を、

白は、明るい希望が見える展望のある意味を

持ってるのではと思うようになりました。

 

僕はこの多摩川に、

何か特別な思いや約束事があるのでは。

 

 

 

風の旅人に 憧れた心よ

水面の妖精は 遠い日々の幻

僕の中に 君の中に(*)

風となって、

君の元に行きたいとずっと思っていた。

 

その頃は、君とは離れ離れで

会いたくても会えなかったのでは。

 

もしかしたら、何かのきっかけで

君に会えるようになったのかもしれません。

 

それとも、会おうと決心したとか。

 

君と僕を隔てる川だけど

君と僕を繋ぐ川でもあった。

そんな二人のために

「水面の妖精」がいてくれてたのです。

ある時は君の心を、ある時は僕の心を

伝えてくれていたのです。

 

でも、やがて会える。

 

 

(*)くりかえし

 

蒼白き多摩川に 思い浮かべて

僕は今日も多摩川のほとりで

君に会うことを夢見ています。

 

 

 

【歌の感想】

 

このアルバム「Crispy!」が出て、

「君が思い出になる前に」が気になって

スピッツとは何ぞや?

私がこれを借りた頃(すみません、借りました)

練馬光が丘に住んでいました。

 

その前に、武蔵小杉に住んでいた時期があって

通勤で多摩川東横線で渡っていました。

 

懐かしいなぁと思いました。

 

朝、電車が多摩川を渡るとき

一瞬視界が開けます。

 

満員電車の奥深くで

身長157㎝の私は

自分が痴漢に遭わないように、

自分が痴漢に間違われないように、

毎朝地味な攻防を続けていました。

体の前でバッグを持ち直したとき、

前に立ってた女性の腰あたりに当たったらしく

すごい形相で睨まれたことがあるのです。

(そ、そんな・・・・)

 

そして、中目黒での乗り換えに備えて

有利なポジションを確保するために、

揺れるたびに少しずつ移動していました。

 

そんなわけで、

明るいうちの多摩川を見たことが

ありませんでした。

 

だから「多摩川」=「蒼白い」というイメージがなく

当時は意味がよくわかりませんでした。

 

上流に行けば緑や黄土色のイメージになるので

やっぱり下流あたりかな、とか。

 

 

後にスピッツは、

「水色の街」(三日月ロック 2002年)をリリースします。

会いたくて、川を渡って君が住む街へ、という歌で、

その街のモデルは川崎らしいと聞きました。

ということは、その川は多摩川

 

なぜ水色?

川崎フロンターレ?とか想像しましたが、

この「多摩川」の歌で、

既に「蒼白き」という表現が使われていますね。

 

偶然かもしれませんが、

川を隔てた街に住む君に会いに行けそうなら

そこは「水色」の街で、川は「蒼白い」んですね。

 

君との関係性は不明ですが

ずっと僕の心の中に居続けていて

困難を乗り越えても会いたい

大事な人のようですね。

 

 

この歌詞がまるで自由詩のようで

8分の6拍子の淡々としたリズム。

サビから転調していくのが

聴いてて一層心地よい感じ。

 

草野さんのボーカルは、

一語一語を丁寧に歌っていて、

唱歌のようでもあります。

 

ずっとバックに流れるアルペジオ

幻想的で浮遊感があって美しいです。

 

 

ただ当初から

イントロから歌全体に、なぜか「天国への階段」

レッド・ツェッペリン感がつきまとっていて

ちょっと刹那的な寂しさを感じる歌だなと思っていました。

 

今でもまだ

「天国への階段」感があります。

なぜ?

 

【勝手に解釈】「君だけを」(スピッツ)

 

 

こんにちは、トパーズです。

 

 

 

「君だけを」(作詞・作曲:草野正宗は、

スピッツの4枚目のアルバム

『Chrispy!』(1993年)の

7曲目に収録されています。

 

 

☆いつか叶うと信じている

 

 

 

※あくまで私なりの解釈で、

 これを強要するとか、他の解釈を否定する意図はありません。

 【勝手に解釈】は、私の妄想のページと思ってください。

 

 

イメージ

 

 

憧れていた夢や希望、

思い描いていたものは遠く消え去った

 

この世界で生きて行くということは

多くの犠牲や諦め

媚やへつらいを伴うこと

 

そして偽りの自分を演じていくことだ

 

それでも

落としていった夢や自分のかけらを

拾い集めていくことは忘れない

 

 

 

 

青文字は、

「君だけを」(作詞・作曲:草野正宗)より抜粋

 

 

街は夜に包まれ 行きかう人魂の中

大人になった哀しみを見失いそうで怖い

砕かれていく僕らは

僕にとって、街はいつも夜のように暗く

明るい部分がなさそうなのは

僕が心を許せる場所がないのでしょう。

 

「行きかう人魂」との表現から

皆、魂が抜けてるように見える。

皆、建て前の世界で

上辺だけ繕って生きていることを

僕はわかってしまったので、

「本物の人間」じゃないように見えるのでは。

自分はそうはならないと思いながら。

 

「大人になった哀しみ」という表現が

言い得て妙です。

同感です、草野さん。

 

「悲しみ」ではなく「哀しみ」

 

抜け殻のような街に

いろんなことを諦めて

抜け殻のようになった偽の自分も

同じように生きている。

 

妥協もし、迎合もし、

この世界で受け入れられるように

かなりたくさんのことを削り落として

(砕かれていって)

哀しいけどギリギリの状態で

毎日を生きている。

 

でも、抜け殻のような世界で

滞りなく生きることに慣れてくると

そんな自分の「哀しみ」を

忘れてしまいそうになって

「悲しく」なってくるのです。

どれだけ哀しい思いをしてきたか。

 

砕かれていって、

だんだん元の自分が

わからなくなってくる恐怖と戦っているのに。

 

 

星の名前も知らず 灯りともすこともなく

白い音にうずもれ カビ臭い毛布を抱き

思いをはせる 夜空に

夜空に思いをはせているのに

「星の名前も知らず」とは?

 

自分が探し求めてる星が

まだ見つからないんじゃないですか。

その「星」は、自分の夢や希望かもしれないし

意図せず別れることになった「君」なのかも。

 

「灯りともすこともなく」は、

そこに終の人生を見ることはせず。

 

「白い音」は、自分に残っている

わずかな希望、或いは「君の声」?

 

「カビ臭い毛布」は、本当にカビ臭いわけではなく

ずっと肌身離さず身に付けてるかのように

ずっと胸に抱き続けている

諦めたり捨ててしまった夢や希望ではないか?

くだらないと思われようが。

 

そして、思いをはせる「夜空」

ひっそりと息をひそめるように

自分を維持しながら生きているのだと思います。

 

 

今までのアルバムの歌からすると

僕はずっと夜空の星に

希望を託してきてたように思うのです。

 

また、離れ離れになった「君」との

共通の希望が夜空の星にあるように思います。

 

 

君だけを必ず 

君だけを描いてる ずっと(*)

「君」は、諦めた夢でもあるし

忘れられない「君」でもあって、

草野さんがあえて

「誰」でも「何」でも、当てはまるように

作っているのかな、と思います。

 

どんな時も決して忘れることなく

「君」を夜空に思い続けている。

 

「描いてる」は、「君」と一緒の未来図を描く

という意味もあるのかな、と思います。

 

 

一人いつもの道を歩く 目を閉じて一人

無器用な手で組み立てる 汚れたままのかけらで

いつか出会える時まで

目を閉じて、砕かれてきた自分の夢や希望、

あるいは自分の分身(諦めた心のような)を

いつも諦めることなく

探している

或いは心で確認しているのだと思います。

 

それらは、未熟でつまらないものかもしれないけど

手探りでも、そのまま大事に拾い集めて

元の輝く夢あるいは自分になるよう

手元に置いていくのです。

 

いつか本当に手に入れるまで。

思い描きながら

(大人になった哀しみを忘れないよう)。

 

(*)くりかえし

 

 

【歌の感想】

 

難しく奥深い歌詞だと思いました。

どのようにも解釈できるし。

確固たる主張はあるのだと思うけど

慎重に、言葉を一つひとつ選んでいる気がします。

 

私は当初、

スピッツのことか、あるいは草野さん自身の

それまでの苦悩や心境なのではないかと思いました。

 

ずっとスピッツを聴いてきた今では、

「君が思い出になる前に」の「君」や

それまでのアルバムで「離れてしまった」

「君」のことかもしれないと思ったりもします。

 

人によっていろいろに解釈できる歌ですね。

 

 

初めて聴いたスピッツ

「なかなか手強いな」と思いました。

 

 

草野さんの若い伸びのあるボーカルを生かした

また、それを堪能できる美しいメロディで、

当初からすごく好きな歌です。

 

そして、不思議なことに

伴奏や間奏、アウトロに至るまで

アレンジ自体が

なぜか昭和歌謡のようにも聴こえます。

 

ジャーンで始まる重いイントロに対し、

ストリングスの効いたアウトロの

軽くて切ない演歌っぽいメロディ。

 

ロックテイストが強すぎないように

あえてそうしたのでしょうか。

そのギャップもまた好きな理由でもあります。

リズムもスローなバラードですね。

 

この歌の最大の魅力は

サビ前の音域の広さをものともせず

歌いこなす草野さんの声の伸び、

そして、サビの

「描いてる~う~う~う~」

高音域で上下する草野さんのファルセットの美しさ!

だと勝手に思っています。

本当に素敵です。

 

 

「君だけを描いてる」という一途さと

何とも懐かしい感じのアレンジで

このアルバムの中でも、

いやスピッツの歌の中でも

かなり好きな歌です。

 

 

【お題】「フルートの練習を再開させたい」

 

 

今週のお題「練習していること」

 

 

 

厳密に言うと

「練習を再開しようと思ってること」

 

 

クローゼットを片づけていて、

フルートのバッグを見つけました。

見つけたというより

いつもそこに置いてあって、

いつも目にしているけど

最近は手に取ることがなかったのです。

 

バッグは結構小ぶりです。

 

子供の手が離れて、

ずっと習ってみたかった(演奏してみたかった)

フルートを3年ほど習いました。

 

アルルの女メヌエット」(ビゼー作曲)に

ずっと憧れていました。

 

夜に大人向けの教室があると知って

週1回仕事帰りに通いました。

 

ピアノやエレクトーンの経験はあるけど

管楽器は全く初めてでした。

(縦笛やリコーダーは別として)

 

教室ではいろんな人と知り合い(皆女性)

皆管楽器は初めてという人ばかりで、

レッスンの時間は楽しかったです。

定期的に演奏会(発表会)もありました。

 

教室の先生(女性)はご自身がフルートを選んだ理由として

クラリネット等の縦笛系と比べて

 演奏しているときの姿がきれいだから」

言っていました。

 

そんなふうに考えたことはなかったけど

それを聞いてから、

演奏するときの立ち姿等も意識するようになりました。

 

映画「タイタニック」の主題歌「 My Heart Will Go On 」や、

アニメ「紅の豚」の「さくらんぼの実る頃」も

映画「ザ・ミッション」の「ガブリエルのオーボエ」も

練習しました。

 

とても楽しい時間でした。

 

ただ、音が結構響くので

マンションで練習するわけにいかず、

(防音室などないし、一時期流行ったサイレント○○で、

 サイレントフルートはなかった)

車に積んで、

仕事の帰りにカラオケで一人で練習していました。

 

 

ちょっとサビ?ついてるのかも

 

 

1時間も吹き続けると

下手な私は酸欠でクラクラしてくるので

途中で休んだり1曲2曲歌いながら。

酸欠は息をちゃんと出せてないからで、

そこが私の練習ポイントでした。

 

そういうことで、

なかなかきれいな音色が出ないのが悩みでした。

練習用の安いフルートの限度なのかなと思っていましたが

ある時先生が私のフルートで演奏してみてくれて

その音色の美しさに卒倒しそうになりました。

本当に私のフルート?と。

 

やっぱり楽器は関係なく

(全く関係ないわけではないけど)

吹く人の技量だな、練習が足りないなと痛感しました。

 

 

練習用フルート 価格¥35,000(当時)

 

しかしその後転居したので

それ以降教室には習いに行っていません。

 

それでも、

たまに仕事帰りにカラオケで

練習したりしていました。

カラオケでは気兼ねしないで吹けるので

結構ストレス解消になってよかったです。

 

 

でも、自転車通勤だった時期や子供の受験期等、

全く手にしてなかった時期も長く、

もう教室に通ってもいなかったので

練習する熱意にムラがでてきて、

吹くたびに初心者に戻っていく感じでした。

 

 

そのうちコロナ禍になり、

いくら「フルート練習」とはいえ

カラオケで練習するわけにいかず

(カラオケに行くことが憚られるようになりました)

それから、とんと吹くことはなくなりました。

 

せっかく吹き方や指使いも覚えたので

忘れてしまわないように

また「カラオケでの練習」を復活させようかな、

と考えています。

 

本来はオーボエの曲だけど、

せっかく練習してきた

「ガブリエルのオーボエ

エンニオ・モリコーネ作曲)

再度練習したいと思っています。

 

 

 

上昇し続けることはできなくても

またやり直せるさ

「放浪カモメはどこまでも」(スピッツ 2000年)

 

私の好きなフレーズで

モチベーションを上げてくれます。

 

上昇し続けることができない、って

ありますよね。

そこを容認してくれるだけでも嬉しい。

フルートもそうですが、

「またやり直せるさ」って思うと、

ずいぶん気が楽になります。